上御霊神社の紅葉

たまたま烏丸通り近くに行ったので何となく地下鉄に乗ってしまいました。どこで降りようかと思っているうちにもう鞍馬口、とりあえず御霊神社に向かうことにしました。(これは徐々に徘徊という行動になっていくのでは?こうしてあと数年したら家族が私を探し回るのでしょうね。)

 

境内の紅葉は半分ぐらいでしょうか。まだしっかり緑で頑張ってる木もあります。

本殿の裏側(東側)あたりが特にカラフル。

 

 

本殿の北側から神明神社のあたり。

 

 

こちらも本殿の東側。イチョウの絨毯も見事でした。

 

 

福寿稲荷神社も背後の木が紅葉してきてます。数日すれば鳥居に負けないくらい赤くなるのかな?

 

 

 

本殿と拝殿に菊の花、華やかでした。

 

 

境内を歩いている人は少なく、前に来た時もそうでしたがのんびりと散策できました。

それから、御霊神社はつい2か月前に(初めて)訪れたのですけど、今回駅から出たらあれ〜どっちだったかな?と。これはヤバイです。

 

前回の上御霊神社の記事

Googleマップ

 

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2か月前に来た時と同じ道を歩いて帰りましたので、あのときのお寺の紅葉はどんな感じかしら?とちょっとだけのぞいてみました。

 

阿弥陀寺

真っ赤に染まったモミジに目が釘付け!

 

 

本満寺

相変わらず良い雰囲気の境内です。ところどころに咲く山茶花(多分)がピンクの彩を添えていました。

山門脇の堂々とした枝垂桜はもう数えるほどしか葉が付いて無かったけれど、来年はきっと見に来るねと一方的な約束(そりゃそうだ!)をして境内を出ました。

 


今熊野観音寺の紅葉

何年か前に娘と一度訪れたことがあります。頭の観音さんぼけ封じの案内板を見て、「また夫婦二人で行って来ーい!」って念を押されてしまった今熊野観音寺です。ま、今日は外出大嫌いな夫はさておいて、紅葉の穴場と言われるそこそこ有名どころの見物を兼ね、私一人でお参りしました。(11月16日の様子です)

 

鳥居橋

泉涌寺参道から左に曲がると目に入ります。この橋を渡るとちょっと別の空気だよみたいな雰囲気ですね。

 

伽藍については今熊野観音寺のHPに詳しい説明があります。(今更、私がアホな説明を加えてもしょうがないので。)

 

子護大師 大切な子供たちを護り育んでくださいます。

色づく頭上のモミジにも、優しく見守っていただいているようでした。

 

 

本堂

手前の真っ赤なモミジ、この1本だけ特に紅葉が早いようで、撮影されている方も多かったです。私も撮ってますけどね(^^ゞ

 

 

五智の井

 

 

ぼけ封じ観音(手前の像)と大師堂(奥の階段上)

この辺りの紅葉のグラデーションはほんまに綺麗でした。坂道を上ってきた甲斐があった。

 

 

1本のモミジの木にこんなにも沢山の色。地面は紅葉の絨毯。でもお掃除が大変なんですよ。経験者。

 

 

稲荷社(左)と熊野権現社(右)

 

 

今熊野西国霊場

もう11月の半ばなのに爽やかな気持ちになるのは、山の空気とずーっと続く竹林のせい?

 

 

医聖堂

前回訪れたときはここまで登りませんでした。近くで見るとすっごい新しい!平成28年に丹塗りの塗り替えが施されたそうです。

 

 

医聖堂付近から見おろしています。常緑の葉と赤・黄のコントラストが見事。本堂の回りはもう見頃と言っていいのかな?

 

 

鐘楼

鐘楼ってこの写真では何が何だか。鐘があるのと向こう側も半ば紅葉しているのは判るけど(;´・ω・)

 

 

本堂前から医聖堂を見上げています。近くで見るよりこちらからの方が良い雰囲気。

 

今熊野観音寺

泉涌寺の塔頭で正しくは新那智山今熊野観音寺という。西国三十三ケ所観音霊場第十五番目の札所になっている。

空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのがはじめと言うが、斉衡年間(854-857年)左大臣藤原緒嗣が伽藍を造営したとも伝える。文暦元年(1234年)後堀川上皇を当寺に葬るなど、歴朝の崇敬を得て栄えた。伽藍は応仁の兵火で焼失したが、その後復興されて現在に至っている。本堂には空海作と伝える十一面観音像を安置する。--後略-- (駒札より)

 

さて、ぼけ封じの観音様には手を合わせただけで、奉納をしませんでした。忘れたわけではありませんよ。もう少し切羽詰まったらお願いしようと思います(その頃ではもう遅いのでは?)

しかし、圧巻の紅葉に感激して、帰りにスーパーで夕飯の買い物をするのを危うく忘れるところでした。やっぱりぼけ封じはしておいた方が?いや、思い出したのだから御利益はあったのです。

 

今熊野観音寺のHPはこちら

Googleマップ

 


東山七条界隈の紅葉

ここ2,3日の間の東山七条周辺の様子です。紅葉の名所と言われるところではありませんが、お寺や神社があれば紅葉する木々も多いわけで、規模は小さくても楽しい散歩ができました。

 

妙法院

 

本堂の方から勅使門に向けて撮りました。

 

 

宸殿の東にある白龍弁財天の祠と池。

 

 

大玄関脇のモミジと、後ろの大きな屋根は国宝の庫裏。

 

 

宸殿の南側の障子に何かが反射しているのでしょうか、赤く映っていて綺麗でしたから・・もっと上手に撮れたらいいのにね(T_T)

 

どなたの姿も見かけることはなく、境内の景色をほとんど一人占めしていました。

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新日吉神宮

 

本殿付近

 

 

 

 

 

モミジはそう多くはないけれど、何とは無しに風流な雰囲気がします。

 

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七条通り

京都国立博物館

特別展の「京のかたな」。早く見に行かないと終わっちゃうなぁと思いつつ通り過ぎる。

 

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養源院

 

数年前の紅葉シーズンにたまたま通りかかって、すごーく綺麗だったのを覚えています。

 

 

まだ緑の葉も多かった。

 

 

参道に鮮やかな散紅葉が敷かれるまで、後どれくらいかな?

 

 

歩いて数十分のところには人で溢れるお寺がありますけれど、この辺りは混雑することは無いと思います。人混みが苦手な人の散策にはいいですよ。

東山七条周辺地図

 


本満寺 季節の花木が美しい。

まーだ先月の続きです。

阿弥陀寺からさらに南へ。左手に「本山本満寺」と書かれた石塔を発見。これはもしかして、もしかしなくても枝垂桜などで有名な?とさっそく山門をくぐらせていただきました。

 

山門門前 門の左わきの鳥居は妙見堂。

 

 

妙見堂です。

洛陽十二支妙見めぐりの一つで丑(北北東)にあたり、出町の妙見様として崇められています。

妙見大菩薩(北辰菩薩)とは北斗七星を神格化した菩薩の事で敵を退け災難から人を守り、寿命を延ばす福徳があるそうです。

 

 

山門(西山門)
京都御所から寄贈されたもので重要文化財です。

こちらから入って左側に有名な枝垂桜があるのですが、この時はもう9月ですから(>_<) でも樹形だけでも想像がつく見事なフォルムでした。桜の頃に来るべきですね。

 

 

七面堂
14世・日遠が七面山で千日修行した際に感得したという、法華経を守護する女神七面天女が祀られています。

 

 

本堂

 

 

鐘楼

 

 

酔芙蓉

朝から夜にかけてお酒に酔ったようにだんだんと赤みを帯びてくる酔芙蓉。天寧寺の酔芙蓉も評判でしたが、この日は残念ながら咲いてなかったので、こちらで見られて良かったです。

 

 

ヤブランとタマスダレ

 

 

季節の花木が美しい、良く手入れのされた境内です。

 

本満寺
応永17年[1410年]近衛関白道嗣の嫡子 玉洞妙院日秀が、今出川新町に朝廷より三万坪の敷地を与えられて創建した日蓮宗の本山。天文法華の乱(天文5年[1536年])の後、天文8年[1539年]に関白近衛尚道の外護により現在の地に移り、後奈良天皇の勅願所となる。宝暦元年[1751年]徳川吉宗の病気平癒を祈り、以来幕府の祈願所となった。本尊は十界大曼陀羅。

 

もう先月の事なので、だいぶ記憶が薄くなってきていますから、せめてこの付近の街並だけでも と、ストリートビューで確認してみみましたら、なんと本満寺の境内に入れるじゃないですか。これでは私のヘタな写真は載せる必要なかったです(/_;)(;´Д`)

Googleマップ

 

 


阿弥陀寺 織田信長公本廟所

先月の散歩、未だに続きを書いてます。
鞍馬口通りから寺町を南下していましたら、「織田信長公本廟」の石碑が立つ阿弥陀寺の門が現れました。信長の墓所があることで私でも名前くらいは知っている阿弥陀寺です。あ、ここなんだ!と(勝手に)入らせていただくことにしました。しかし「阿弥陀寺」の名の寺院はすっごい沢山ありますので、この石碑が無ければ気が付かなかったでしょう(名前は知ってても場所は知らなかった(^^;)。

 

山門です。

門の手前左脇に、「織田信長公本廟」の石碑が立っています。

 

 

本堂です。
余り大きくはないけど落ち着いた雰囲気でした。御本尊は阿弥陀如来様。通常は非公開。
信長公と長男信忠の木造が安置され、毎年6月2日に行われる「信長忌」の時に公開されます。信長の像や肖像画の中では一番本人に似ているそうです。

 

 

本堂にかかる山号「蓮台山」の扁額。

 

 

庫裏です。
チャイルドシート付きの自転車が置いてあるところに、親しみが持てます(*^^*)

 

 

織田信長公本廟所

すごく豪華なお墓をイメージしていましたから、意外に地味なんだなぁって、そんな印象でした。でも、こちらで大切にお供養されているのですね。(墓地に一人でいるのが怖くて、早々に退散してしまいました。それほど誰もいなかったのです。もっとしっかりお参りさせていただけば良かったと反省。)

 

 

本廟所の案内板。

渡り廊下の下を通って墓地に出ます。この案内板が無ければ、30分はウロウロしていたことでしょう。

 

 

鐘楼です。

 

 

鎮守社です。

 

 

せっかくだから境内にこんもりと茂っていたススキも(何がせっかく?)

 

阿弥陀寺
天文24年(1555年)近江国坂本に玉誉清玉が創建したのが始まりとされる浄土宗の寺院。後に織田信長の帰依を得て、今出川大宮に移転した。
天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が討たれた際、清玉上人自ら現地に赴き信長の遺灰を持ち帰り、その後長男信忠の遺骨も二条御新造より拾い集めて埋葬したという。また、信長の家臣や本能寺の変の犠牲者大勢も葬り供養したとされる。
天正13年(1585)豊臣秀吉の都市計画によって現在地に移った。

 

5年前に拝観した大雲院にも織田信長・信忠の慰霊碑があることを思い出しました。正親町天皇の勅命により信長親子の菩提を弔うため、御池御所(烏丸二条南)に貞安上人が開山したということでした。
供養塔や慰霊碑が建つところは京都だけでもまだ数カ所あります。戦国武将ランキングで常に上位にいらっしゃる方ですから全国にはもっともっとあるのでしょうね。

それにしても本能寺も阿弥陀寺も大雲院も今は当時の場所に無いのですよね。秀吉さんの都市計画で。

 

Googleマップ

 



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