京都国際マンガミュージアム。漫画耽読!夢中になってました。

マンガミュージアムに行きたーい!って10年くらい思っていたのですけど、やっと重い腰が上がりました。

 

ここが入り口ね?。足を踏み入れると両側にカフェ!? ほんまにここからでいいんですか?

年齢制限無いよねぇ、オバサンは浮いちゃうかな?と恐る恐る・・。中に入れば私よりも高齢と思われる外国の方がいらっしゃいました!ひと安心ニコニコ

外国の方、多いですねぇ。しかも皆さん熱心なご様子で驚きました。

 

 

マンガミュージアムは旧小学校(龍池小学校)の校舎を活用しています。そのせいでしょうか、ちょっと歩けば床がギシッ!! うわっ! 鴬(ウグイス)張りか!?と驚いたら、そこらじゅうでギシギシいってました。これもレトロ感に一役買っている?唖然 

方向音痴の私にはこのミュージアムは迷路のようでしたが、各階に設置されている検索機?のお陰で何とかなりました。検索機は救世主です。大変お世話になりましたニコニコ

今となっては滅多にお目にかかれない古〜い漫画を読みふけることができて大変満足、800円の入館料(しかも当日に限り再入場可)で1日中楽しめそうです。

それから、トイレはすぐに見つかってオバサンとしてはありがたいですたらーっ

 

京都国際マンガミュージアムHP

Googleマップ

 


粟田神社。どっしりとした風格があります。

東山区にあるものですから、いつでも行けると思いながらン10年も経ってしまって・・。

先日、やっと粟田神社を参拝致しました。

 

扁額に「粟田神社」と書かれているので、うん、間違いないなと三条通に面した第一鳥居をくぐりました(方向音痴なので時々こういうもので確認するのですポロリ)

 

 

第二鳥居は「感神院新宮」と書かれていました。ここからぐっと登り坂です。この鳥居の手前に細い道があり、右(西)に進めば神宮道に出ます。

 

 

鍛治神社(末社)です。第二鳥居をくぐるとすぐ左手にある駐車場内に鎮座されていました。
その昔この近辺には多くの刀工が住んでいました。その屋号は粟田口、あるいは三条小鍛冶とも号したそうです。
刃物、鍛冶及び勝運、開運の社として、製鉄の神である天目一箇神(あまのまひとつのかみ)と、名刀工三条小鍛冶宗近粟田口藤四郎吉光が祀られています。

 

 

緑が美しい参道に戻ります。上まで延々と続くのかと思いましたが、大した距離ではありませんでした。秋には紅葉のアーチが美しいそうです。

 

 

坂を上って行くと、もうすぐ境内というところに立派な御神馬(ごしんめ)像が建っていました。明治末に奉納されたものだそうです。

 

 

拝殿です。元禄10年(1703)に建てられたと伝え、細部様式もこの頃のものと判断されるそうです。平成21年に屋根が葺き替えられました。

 

 

古からの風格を感じさせる本殿です。
文化2年(1805)6月に焼失後、文政6年(1823)に再建されました。本殿の前に拝所を付設した幣殿(神様にお供え物をするための建物)が接続する複合社殿です。拝所の彫刻・装飾には時代的特色が見られ、屋根等の変化に富んだ外観は江戸時代後期の複合社殿として価値が高いということです。

 

 

本殿の北側には末社(本社に付属し、その支配を受ける小社)の「朝日天満宮・多賀社」「大神宮」、摂社(本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祀った神社)の「出世恵美須神社」が並んでいます。

 

こちらは上の写真の一番左、菅原道真公を祀る学問の神様で京洛二十五社の一社朝日天満宮と、滋賀県の多賀大社の御分霊を祀る、縁結び・長寿の神様の多賀社のお社です。

 

真ん中の大神宮です。元々は青蓮院坊官の旧宅地の鎮護神でしたが明治になってこちらに遷座されました。現在は八幡神春日神が両脇に配されているそうです。

 

右端の出世恵美須神社です。源義経が幼少時の奥州下降のとき、源家再興の祈願をされた恵美須神だそうです。500年以上前、蹴上の山崩れで土砂とともに流出し、止った所に永く祀られていましたが、明治になり粟田神社摂社として遷座されました。家運隆盛、商売繁盛の恵美須様です。

 

 

北向稲荷神社(摂社)。創建年代は不詳ですが、江戸時代の絵図には稲荷社が載せられていたそうです。御祭神は雪丸稲荷他三座。雪丸稲荷は、三条小鍛冶宗近が一条院の勅命により剣を打つ際に相槌を打ったお稲荷さんで、打ち上げた剣の表には「小鍛冶宗近」、裏には「小狐」の銘を打ったと云われています。

本殿手前の南側に、文字通り北向きに建っていました。

 

 

太郎兵衛神社(末社)。北向稲荷神社の左隣に鳥居がありますが、お社はこの鳥居をくぐってから右に曲がり、北向稲荷神社の後ろにありました。
青蓮院の御門の西に奉祀されていた土地の守り神で、陶芸家、故楠部彌弌氏が信仰されていたお社だそうです。

 

 

吉兵衛神社(末社)。三条神宮道辺りにあった青蓮院の御門の東に奉祀されていた土地の守り神だそうです。

 

 

この参道をまた通って、途中のサルスベリなどを見ながら帰りました。お参りをした後は気持ちがいいです。

 

粟田神社

京都の東の出入口である粟田口に鎮座する神社です。京都と各地を結ぶ主要な出入り口であったため、人々は旅の安全を祈り、また無事に都へ戻れたことを感謝してお参りをされました。そしていつしか旅の神様として世に知られることとなりました。

旧名は感神院と称する八坂神社に対し、感神院新宮または粟田天王宮。明治になり粟田神社と改称されました。

スサノオノミコト(建速素盞嗚尊)・オオナムチノミコト(大己貴命)を主祭神として祀り、厄除け・病除けの神として崇敬されています。御神徳は、旅行守護・厄除・病魔退散・縁結び・安産・経営守護。

 

粟田神社のHPはこちら

Googleマップ

 


日限(ひぎり)さん。五条坂の安祥院。

大きな提灯に「日限地蔵尊」と書かれた安祥院さんの山門を今回初めてくぐらせていただきました(勝手に)。よく通るところなのに一度もお参りしたことが無かったなんて今までもったいないことをしていました。

 

山門は清水寺につづく五条坂の勾配に沿って建っています。

安祥院は天慶五年(942年)朱雀天皇の勅願によって、乙訓郡に創建された天台宗の寺院が始まりといわれています。荒廃と復興を繰り返した後、享保十年(1725年)に木食(もくじき)僧の養阿(ようあ)上人によってこの地に再興されました。現在は浄土宗の寺院です。

木食僧とは五穀を断ち、木の実や草などを食料として修行する僧のことです。

 

 

100mほど東に市営の清水坂駐車場があるため、往来する観光バスがかなり多いですが、境内に一歩足を踏み入れるとその喧騒が嘘のようです。

 

 

門をくぐって、右に行く小路の突き当たりに「大辨財天」と書かれたお社がありました。まっすぐ本堂にお参りするところですが、小路に咲く白いユリの花に誘われて、こちらに来てしまいました。

 

 

本堂です。残念ながら今回はご本尊の阿弥陀如来様は拝見できませんでしたが、お彼岸と毎月の功徳日には公開されるそうです。
手前の大きな桜の木は「京都市指定保存樹 ヤマザクラ」と札に書かかれていました。これは春には観賞させていただかないとニコニコ

 

 

本堂左手にある地蔵堂には「日限(ひぎり)さん」と呼ばれる「日限地蔵(ひぎりじぞう」が安置されています。
開運・安産・厄除けなどの願い事を何日に何日までにのように日を限ってお願いすると叶えられると伝わっています。

 

 

地蔵堂の左数メートルの小路の先にある「豊川陀枳尼天」のお社。

 

 

山科日ノ岡峠の車石です。

正禅上人(養阿上人)は元文3年(1738)に完成した日ノ岡峠の改修工事を始め、石橋の架設や寺社の敷石など、多くの土木工事を行っているそうです。

 

 

「右 正禅上人自筆大日三尊、光明真言碑。左 西京極佃橋から移築された橋桁石」と立て札に書かれていました。橋桁石はこの画像ではとっても分かりにくいですけど、手摺りの下の長い石です〜。

 

 

境内至るところにタカサゴユリ(テッポウユリ?)が咲いていていて、清々しい気持ちになります。

 

 

弁財天様の傍らにありました小さな石仏。大日如来様かしら?

 

たまたまかも知れませんが、どなたも境内にはいらっしゃいませんでした。この坂を通る方はほとんど清水寺を目指しているからでしょう。五条坂にありながらこんなに静かで落ち着いた場所。石畳に桜の古木、苔、シダ、緑の草木、それに願い事をかなえて下さるお地蔵様も。これからはこの坂を通る度に立ち寄ってしまいそうです。

 

Googleマップ

 


五条通を歩いていたら(東大路から鴨川まで)

数年前からぼんやりと気づいてはいたのですけど、電線地中化により設置された地上機器を利用して、地元の高名な陶芸作家さんたちが制作された陶板が飾られています。もう何年も前からなのですけど、じっくり見ていなかったなぁ。ぁぁほんまにぼんやりしてる・・がく〜

 

これは陶板の位置や周辺地図が描かれています。まあ五条通の歩道に置かれているこんな箱です。

 

 

先に断わっておきます。今更ですが・・・って。

陶芸作家の皆さんが特別に作られた作品が12点くらい?あります。

 

 

しょっちゅう通っている道なのに、ちゃんと見てなかったなぁ。観光客さんは気付いてはる?

 

 

これ、すごく可愛いです〜ポッ

 

 

この道のためだけに制作されたアート作品。今度はちゃんと見て歩こう。

 

 

この「清水五条陶板の散歩道」の文字は清水寺の森清範貫主が揮毫(きごう)されたものだそうです。

 

 

うかうかしていたら、もう明日から陶器祭りです。

 

 

台風も来てるし、心配なお天気。

 

 

五条通中央分離帯の花壇がちょっと素適だったのでニコニコ

 

歩いたら面白いものがいっぱい見つかる。京都観光は、歩かなくちゃですね。

(私はボーっとしてますので、あらゆるものを見逃していますが・・・撃沈

 

Googleマップ

 


廬山寺 源氏庭

紫式部の邸宅址といわれる廬山寺で、美しい桔梗咲く源氏庭を拝観しました。

 

涼しげな青紫、まだまだ見頃ですよ。

 

 

山門です。左手の板に「源氏物語 執筆地 紫式部邸宅址」と書かれています。その隣に「桔梗見頃」の立て看板。良かった!まだ見頃やったんや!と(調べて無いんかい!?)。

 

 

元三大師堂 。山門を入ってすぐ正面にあります。

元三大師(がんざんだいし)・・比叡山延暦寺の中興の祖として知られる、第18代天台座主 良源(諡号は慈恵大師)。中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集め今日に至っている。尚、「おみくじ」の創始者は良源だと言われています。

 

 

決して広くは無いですが、風情のあるお庭です。

 

 

白・緑・青紫。むし暑い京都の夏に爽やかなコントラストです。

 

 

庭園内にある紫式部顕彰碑。昭和40年(1965)に考古学者角田文衛博士によって考証され、新村出博士によって「紫式部邸宅址」と揮毫されました。

 

 

6月末から9月の始め頃まで静かに花開くそうです。

眺めているとたまに苔の上をすずめが降りてきて、その可愛らしさに癒されましたポッ

 

 

受付でいただいたパンフには、平安朝の庭園の「感」を表現した白砂と苔の庭 とありました。

実際紫式部が生活した邸宅はどんなお庭だったのでしょうね。

 

 

敷詰められた白砂に気品漂う紫の桔梗。

 

紫式部は人生の大半をこの地で過ごし、源氏物語の執筆もここで行われたということです。また源氏物語作中の花散里の屋敷もこの辺りであったとろうといわれています。(私のHNは花散里ですから、どうしても気になります。)

本堂の縁側に腰掛け、遠く平安の時代に思いを馳せながら穏やかで静かな時を過ごせました。(ストレートに言うと"ずーっと妄想してました"ですたらーっ

 

 

境内東端に残る豊臣秀吉の築いた御土居の史跡

本堂や源氏庭の東にある墓地内の河原町寄り、かなり鬱蒼とした場所にこの石碑がありました。

 

 

 

慶光天皇廬山寺陵。本堂の北東に位置します。慶光天皇は閑院宮典仁親王(かんいんのみや すけひとしんのう)で、第119代光格天皇の父。歴代天皇の表にはありません。⇒ウィキペディア

 

廬山寺

元三大師良源により天慶元年(938年)に京都の北山に創建。寛元元年(1243年)に法然の弟子である覚瑜が船岡山の南麓に再興、中国の廬山にならい廬山天台講寺と号した。織田信長の比叡山焼き討ちは免れたが、豊臣秀吉の寺町建設により、現在地に移転。度々の火災により、現在の堂宇は寛政6年(1794年)の再建になるものである。

 

本堂には阿弥陀如来と両脇に観音・勢至菩薩の阿弥陀三尊坐像が安置されいます。また廊下には源氏貝合せ、資料室?に源氏物語絵巻などが展示されていました。

 

源氏庭は静かで癒されるお庭でしたニコニコ

 

廬山寺のHPはこちら

Googleマップ

 



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