来迎院(泉涌寺塔頭)

今熊野観音寺と同じく、参道から東(左)へ曲がる分れ道を行きます。

 

やっと着きました。木々に囲れた山門と石橋。風情があるわ〜。

 

 

実はですね、場所は分かり難かったですよ〜。泉涌寺総門前の地図を見ると観音寺の方に行くのだけれど、案内の一つくらいあっても良さそう・・・ってありました、目立たないけど。ゆな荒神 来迎院と書いてあるようですが、楷書しか読めない私に何とか読めたのは下の方の「来迎院」(´Д⊂ヽ)

 

 

観音寺の方に行きまして、途中から道は更に分かれます。

赤い欄干の橋は観音寺の鳥居橋。来迎院の方へ行く道から撮ってます。

 

 

先ほどの山門から入って、正面の階段の上に荒神堂が見えています。

 

 

独鈷水が湧く井戸。(荒神堂に上がる階段の下右側です。)
洞窟のような横井戸で、中央の黒い扉を開け柄の長い柄杓で汲み上げます。
霊元天皇の女官、小少将局の娘は生まれつき目が不自由でしたが、お告げに従い独鈷水で目を洗ったところ、たちまち見えるようになったと伝えられています。

 

 

荒神堂

来迎院の荒神は極彩色の玉眼に、唐風の衣冠束帯を身に付け、この種の木造では日本唯一のものといいます。三宝荒神は本来、火の神として台所、かまどを司るとされますが、こちらの荒神様は「胞衣荒神(ゆなこうじん)という別名があり、皇室の方々の安産の勅願所としても信仰を集めました。現在も安産を祈願する参拝客が大勢訪れているそうです。

 

 

本堂
本尊阿弥陀如来、霊元天皇の念持仏・幻夢観音像、他に大石内蔵助の念持仏・勝軍地蔵等が安置されています。

 

 

含翠の庭

広くはないですけど、何とも風情のあるお庭です。いわれのある石灯篭などもいくつかあるようです。

(左奥の方の屋根が大石内蔵助寄進の茶室含翠軒なのですけど、突然スマホが鳴って、焦って撮り忘れてしまった。・・ストリートビューで見れますけど。^^;)

 

 

こんなに素敵な緑ですから、紅葉の季節はすばらしいだろうなと想像できます。
庭園のみ拝観料300円、お抹茶と御菓子が400円でした。ほっこりできました(*´Д`)

 

来迎院(らいごういん)

山号は明応山。本尊は阿弥陀如来。
弘法大師空海が大同元年(806年)、唐で感得された三宝荒神をこの地にお祀りしたのが始まりとされている。その約400年後の建保6年(1218年)、藤原の信房が泉涌寺の第四世月翁和尚に帰依して一院を興したのが始まりと伝えられる。
荒神堂に安置されている木造の荒神坐像とその護法神五躯(国立京都博物館で管理)は、いずれも鎌倉時代の逸品で重要文化財に指定されてる。
弘法大師が独鈷を用いて掘り当てられたという名水・独鈷水がある。
大石内蔵助寄進による茶室含翠軒(がんすいけん)や、大石の念持仏とされる勝軍地蔵尊をはじめ、赤穂浪士に関する遺品を数多く所蔵している。
泉山七福神巡り(⇒ウィキペディア)4番「布袋尊」札所。

 

来迎院のHPはこちら

Googleマップ

 


今熊野観音寺 (泉涌寺塔頭)

総門から400mくらい歩いたでしょうか、左に長く続く別れ道があります。

昨年の秋に訪れた時、紅葉のグラデーションが素晴らしかったので、青モミジにも期待して 再訪しました。

 

鳥居橋。

デジカメの電池残量が少なくなってきたので、前に撮影したところはあまり撮らないでおくつもりでした。が、朱と緑のコントラストが見事で、やっぱり撮ってしまった。

 

 

手水舎が鮮やかな紫陽花に埋め尽くされていました。すごく奇麗だったので、ここで手を洗ってよいのだろうか?と悩んでしまいました。(洗わせていただきましたけど。^^;)

 

 

子護り大師様。

今回まじまじと拝見。優しいお顔をされていました。

 

 

本堂。

昨年の秋、このモミジはいち早く赤くなっていたなぁと思い出しました。でも、この季節でも もう所どころ赤いです。

 

 

鐘楼の周りも緑のグラデーション。

 

今熊野観音寺については前回の記事に少々記載しています。

追記として、西国三十三ヶ所観音霊場の第十五番札所、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第一番札所、洛陽三十三所観音霊場の第十九番札所、神仏霊場会の122番(京都42番)霊場。(観音寺HPより。) 

泉山七福神巡りでは、3番「えびす神」札所。(それぞれのリンクはウィキペディアに貼られています。)

 

頭の観音さん。

前回は見合わせたボケ封じの奉納、今回もパスしてしまった。気がついた時にはもう手遅れでは?ってボケちゃったら気がつかないよねぇ。運転免許を返納したことを忘れて、運転しちゃうみたいに。

そろそろしておくべきかな?

 

今熊野観音寺のHPはこちら

前回の観音寺の記事

Googleマップ

 


悲田院(泉涌寺塔頭)

参道から西に折れて、京都市立泉小中学校東学舎(旧 月の輪中)の校舎に沿って歩きます。

 

突き当りに朱色の門がありました。回りが眩しい緑色ですから、すごく目立ちます。

 

 

門からまっすぐ歩いて行くと、毘沙門天堂がありました。

こちらの毘沙門天様は、除災招福の仏として広く信仰されているそうです。

 

 

お堂の右側から視界が開けて、素晴らしい景観を見ることができました。ベンチもありますので、腰かけて眺められます。参道をずーっと上って来て、あ〜シンド!って体力無い私にはありがたいです(*´ω`)

 

 

毘沙門天堂から山門を振り返ります。綺麗な境内です。

少し奥まった場所にあるせいでしょうか、何方の姿もお見かけしませんでした。

 

悲田院(ひでんいん)
本尊は阿弥陀如来。
聖徳太子が身寄りのない老人や放置されている子供を収容する施設として造られたのが悲田院の始まりといわれる。延慶元年(1308)無人和尚がこれを一条安居院(上京区)に再興し、天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺とした。
後花園天皇はこの寺を勅願寺とし、これより代々の住職は綸旨を賜わり紫衣参内が許された。また後花園天皇の崩御の際には当院で葬儀や荼毘が行なわれた。
兵乱により衰微するが、正保二年(1645)、如周恵公和尚が高槻藩主の帰依を受け、この地に移し再興した。
本尊の阿弥陀如来立像のほか、快慶作の宝冠阿弥陀如来坐像が祀られ、また土佐光起光成親子と、橋本関雪の襖絵がある。
泉山七福神巡り(⇒ウィキペディア)6番「毘沙門天」札所。

 

Googleマップ

 


新善行寺(泉涌寺塔頭)

戒光寺から少し上って同じく左側にあります。

 

参道沿いに新善行寺を示す石標・駒札があります。その手前のわき道を少し下がったところに山門が見えます。

 

 

山門から、手入れの行き届いた境内が見えます。
この数メートル前左(北)側に新善行寺が経営される泉山幼稚園があります。園児の元気な声が聞こえて、こっちまでパワーをもらえそう(ついでに若返れたらいいけど・・)

 

 

眩しい緑のお庭のつきあたりに本堂がありました。

 

 

愛染堂。こちらに愛染明王が祀られています。
愛染とは愛欲貧染の意味であり、その煩悩をそのまま浄菩提心に昇華させる明王様で、敬愛和合・恋愛成就を祈願する方々に厚く信仰されているそうです。

 

新善行寺(しんぜんこうじ)
本尊は阿弥陀如来。
寛元元年(1243年)8月、後嵯峨天皇の御願寺として値願念西が勧進して一条大宮の地に創建された。勅命により信濃国善光寺本尊と同体の阿弥陀如来立像を造らせ、本尊とした。南北朝時代から室町時代に入ると庶民の崇敬を受け寺は繁栄したが、応仁の乱により焼失。文明5年に泉涌寺山内に移り、江戸時代の寛文年間に現域に落ち着く。
泉山七福神巡り(⇒ウィキペディア)では番外「愛染明王」

駒札には準別格本山 一條殿 新善行寺 とありました。

 

訪れたのは今月上旬で、山門をくぐると、時節的に もちろん咲いてはいませんが、立派な枝垂桜がありました。お庭には愛らしいサツキがまだ残り、紫陽花が咲き始め。とにかく美しい境内でした。

 

Googleマップ

 


戒光寺(泉涌寺塔頭)

泉涌寺の総門から100mほど歩いて左側、前述の法音院の斜向かいに戒光寺はあります。

 

山門です。

 

 

本堂です。
こちらで、重要文化財の御本尊、釈迦如来立像を拝見しました。鎌倉時代の彫像で運慶・湛慶親子の合作。立像は約5,4m、光背と台座を含めれば約10m、通称丈六さんと呼ばれています。本当に大きくて美しくて、壮麗なお釈迦様でした。

拝観は無料ですが、少額で蝋燭と御線香を上げさせていただけるようになっていました。

 

 

拝観した時にはお釈迦様ばかり見ていて気がつかなかったのですけど、2つ上の写真の本堂では丈六さんが安置される高さが無い!?不思議に思って撮った写真を漁って見返すと、後ろに大きくて古くてどっしりとした建物が続いていました。内陣はこちらになっているのでしょう。(早く気がついて上手に撮っていれば一枚の画像で済んだのにね^^;)

 

 

泉山融通弁財天です。融通を利かせてあらゆるお願いを聞いて下さると信仰が篤く、また こちらの尊像は伝教大師作と伝えられ、御開帳は1月の七福神巡りと11月の弁財天大祭のみに行われているそうです。


戒光寺(かいこうじ)
当初は戒光律寺と呼ばれた。本尊は釈迦如来立像。
鎌倉時代の安貞2年(1228)、南宋から帰朝した浄業曇照上人により、八条大宮の東に創建され、後堀河天皇の勅願所となった。応仁の乱により一条戻り橋の東に移り、更に三条川東を経て正保二年(1645)に現在地にて再興された。
後陽成天皇の皇后のご信心や、後水尾天皇も釈迦如来像がお身代わりになってくれた事があり、守護仏としても深く信仰された。後に身代わり丈六さんの名で庶民からも篤い信仰をうけている。
京都十三仏霊場(→ウィキペデイア)第3番文殊菩薩。泉山七福神巡り(⇒ウィキペディア)では2番、「弁財天」を祀る。
また、墓地には壬生寺から改葬された御陵衛士(→ウィキペデイア)伊東甲子太郎以下4名の墓がある。(ブログ内関連記事)

 

戒光寺のHPはこちら

Googleマップ

 



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