法住寺節分会

先週から(私の行動範囲では)交通渋滞もなく、乱立するゲストハウス周辺のスーツケースをひくガラガラ音も無い、静かな日常です。まあ、あれの影響で。

久しぶりに街が空いてる〜と喜んでも、このご時世にあちこち出かけるほどの元気も勇気もなく・・で、徒歩で行ける法住寺さんの節分会に行ってみました。

 

「節分会」で山門の周りも賑やかです。

 

 

皆さん、近くのお店の厄払いからお帰りになった模様です。

 

 

本堂前の沢山のお供えと、護摩壇。ここで「開運・厄除け」星まつり採燈大護摩供が行われます。

 

 

先斗町の舞妓さんがいらして、つきたてのお餅を丸めて下さいます。優雅な所作で、もちろんべっぴんさんで、カメラを向ける方続出。

このお餅はおぜんざいに入れられて、参拝者に振る舞われました。また境内では甘酒の提供もありました。甘酒もぜんざいもメチャ美味しかったです(しっかり両方いただいている。(^^;)

 

 

お餅丸めのあと、場所を変えられる(休憩に行かはるのかな?)舞妓さん。

昼間そんなり(普段の着物姿)の舞妓さんとすれ違ったりすることはありますが、お仕事の姿を至近距離でお見かけすることはあまり無いので、ちょっと嬉しかったです〜(´▽`)

 

 

本堂前で鬼が整列?この後、鬼法楽が行われ、豆まきで鬼が退散。

豆まきでは舞妓さんや山伏さんが小袋入りの福豆を撒かはります。それがあられのように降って来ましたから、オバサンでも難なく大量にキャッチ。いや、ありがたや!

美しい舞妓さんのすぐ下にむくつけき鬼写真を貼ってしまった(ノД`)・゜・。

 

 

護摩壇に点火する前に、四方・中央・鬼門に向かって矢を放つ弓の儀式です。

 

 

ご住職の読経。その後点火されます。

 

 

それはもうモクモクと。これは多少治まってますけど、もっともっと凄かったです。

 

 

もうそろそろ終わる頃でしょうか。

まだ見ていたかったのですが、時間が無くここで境内を後にしました。

 

 

 

以前(2016年)の法住寺の記事→

東山七条周辺の地図

Googleマップ

 

 


まだ梅は咲いてなかったけれど梅宮大社に行ってみた。

まだ咲かないだろうなぁと思いつつ、前から気になっていた、「梅宮大社」に行ってみました。

 

神苑に咲いていた白梅。かわいいですね〜。可憐ですね〜。でもやっぱり行くのはまだ早すぎた(^^;

 

 

大鳥居の扁額には「梅宮」。この手前に石鳥居の一の鳥居がありました。

 

 

随身門。上の方に献上酒が並んでいました。神社のこういう樽ってだいたいディスプレイ用で中は空ですよね。先日夫に聞いて、近所の神社で触って確かめて(コラッ!)初めて知った。

 

 

日にち的に拝殿の前には返納されたお札類がずらり。

 

 

本殿と拝所です。一の鳥居から一直線。

祭神は

酒解神(大山祇神おおやまづみのかみ)ーーー酒造の守護神とされます。

大若子神(瓊々杵尊ににぎのみこと)

小若子神(彦火火出見尊ひこほほでみのみこと)

酒解子神(木花咲耶姫命このはなのさくやひめのみこと)

しかし、神様のお名前はひらがなでもなかなか読めないです〜。

相殿に

嵯峨天皇 嵯峨天皇皇后の橘嘉智子(檀林皇后) 嵯峨天皇皇子の仁明天皇 橘嘉智子の父橘清友 が祀られています。

 

 

神苑に入る手前で可愛らしい白梅を見つけました。

 

 

入口の門の下から神苑を見ています。

社務所に拝観料を納めていざ!って・・神苑入り口とは書いてあったけど、手前に金属製門扉があって、なかなか難易度の高い入り口でした。多分普通の人なら問題ないのでしょうけど( ノД`)・・。

 

 

茅葺屋根の茶席「池中亭」。

この池は祭神である木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)に由来して、咲耶池というそうです。

神苑は本殿を囲むように東から北、西をぐるっと囲み、池はこちら東苑の咲耶池、北苑には小さい勾玉池があります。

 

 

咲耶池の西岸で蕾が開きかけた白梅。近くによると甘い香りがしました。

 

 

こちらは池の南岸で見た背の高い梅の木です。青空に点々と紅の色。

 

 

椿の花は良く咲いていました。いろいろな種類の椿があるようです。

 

 

咲耶池の西岸で辺りに良い香りを放っていた白梅です。もう半分くらい咲いていました。一番上の画像はこの白梅です。

 

 

所々に水仙の花。こちらは東苑ですが、西の苑にはもっと沢山の水仙が咲いていました。

 

 

蝋梅。香りはあまり無かったなぁ。

 

 

北苑でトンネルみたいになっていた椿の木。

 

 

西苑は多くの水仙が植えられて素敵な小径になっていました。

 

 

この水仙変わってるなぁ、でもとっても綺麗!とカメラを向けました。真っ白なペーパーホワイトという種類のようです。あれ?先日三十三間堂で撮ったのもこの種類だったかな?

 

 

もうすぐ出口というときに、名残惜しく後ろを振り返ると絵のように美しい。ってこれは多少加工してます。絵のように・・。

 

 

神苑を出たところは本殿から続く格子で、摂社の護王社がありました。反対側には若宮社があります。

 

 

今年の干支 子年の絵馬。ネズミさんにも梅の花。かわいい!

でも、境内にはネコ様たちが・・・(=^・^=)

 

 

さて、境内で暮すネコさんたちでも有名な梅宮大社だそうですが、訪れた時間が悪かったのか、お見かけしたのはこの色白の方のみ。ネコ好きの私には残念でしたが、この次に期待しましょう。

 

梅宮大社

奈良時代、橘氏の氏神として、綴喜郡井出町付近に創建したのが始まりといわれ、平安時代前期に檀林皇后によって現在の地に移された。
古くから造酒・安産の神として名高い。子宝に恵まれなかった檀林皇后が、「またげ石」をまたいで授かり、仁明天皇が誕生したと伝えられている。
本殿や拝殿、楼門などは元禄年間に再建されたもので、京都府登録文化財に登録されている。
神苑には数100本の梅のほか椿、杜若、花菖蒲、睡蓮、八重桜、紫陽花、躑躅など、季節の花が美しい。

 

参拝のあと神苑を訪れましたが、本当にシーズンオフという感じでした。良い季節にまた足を運びたいと思います。

境内でも噂のネコさんたちに1匹しか会えなかったし(;´・ω・)

 

Googleマップ

 


三十三間堂30年ぶりに拝観しました。

今日は通し矢の日ですね。今日行けたら良かったのに。無料開放してるから(そっちかい!?)。

先日、じつに30年ぶりに拝観をしてきました。30年ってすごいですよ。高校の修学旅行で行ったのなら、その30年後は47,8才ですからね。女性なら乙女→熟女ですよ!(責任持てないけど)。0才なら30才!(キリが無いな)。まぁ、建立から800年以上経っている国宝三十三間堂と比べたら、しょーもないことです。

 

お堂の南から北に向かって撮影。長い!途中の出っ張りがあるところが、中央にある向拝でまだ半分。

 

受付で拝観料(600円)を払って、まずは北側にある参進閣という新しい建物で靴箱(棚)に靴を置いて国宝の本堂へ。

 

 

南東から撮っています。やっぱり長いね〜。桁行35間、梁間5間、実長は桁行が118.2メートル、梁間が16.4メートルだそうです(ウィキペディアより)しかも基礎の地盤から梁の構造など様々な工夫をした免震構造です。

 

 

お堂東側中央の正面入り口。工事中でした。

仏像がずら〜〜っと並んでいらっしゃるところが内陣で、その周りを囲む外陣(廊下)から拝観します。

1001体の観音様風神雷神二十八部衆の国宝の仏像の大群です。もちろんその光景にも圧倒されてしまうけど、中央に安置されている像高3m余の千手観音坐像を拝観した時には、荘厳な特別な空気を感じて思わず息をのみました。

30年前の私はどうだったか?あまり記憶が無いところから察するに多分さ〜っと見て、子供に「まんまんちゃん、あん(仏様に手を合わせての関西の幼児語らしい)してね。」と言って通り過ぎたのでは?

ところで、千手観音様は各々の掌に目があるということを初めて知りました。(夫曰く、掌に目が有ったら痛くてモノに触れない。俗物夫婦でスミマセン。)

 

 

本堂の南側です。あの長さを見てきたから、こっちは短か!って感じます。

 

上の画像から・・何となく撮った鬼瓦を確認してみると、梵字が書かれていました。キリークと読み、千手観音菩薩を表すそうです。(阿弥陀如来も同じ梵字のようです。)

 

懸魚(げぎょ)には可愛い猪の目。ハート型♥

 

 

境内 本堂の東側

夜泣き泉
お堂創建翌年の6月7日、ひとりの堂僧が夢のお告げにより発見したという霊泉で、いつも冷たく美味しくお腹を痛めることのない極楽井で、尽きることも余ることもない不思議な泉だと古今著聞集に記されている。夜のしじまに水の湧き出す音が人のすすり泣きに似ることから、夜泣き泉と言われるようになり、いつの頃からか地蔵尊が祀られて、特に幼児の夜泣き封じに功徳があるとされています(駒札より)

 

 

法然塔(名号石)
元久元年(1204)3月、時の土御門天皇が当院で後白河天皇の十三回忌を行なった際、請いを受けた法然上人が音曲に秀でた僧を伴って「六時礼讃」という法要を修しました。この碑はその遺蹟として法然上人霊場にも数えられ、今も参拝する方々があります
(駒札より)

 

 

鐘楼

 

 

庭園の一部。(修理中でした。) 東の朱色の回廊塀の傍では十月桜が咲いていました。

 

 

境内(本堂の西側)

鎮守社 久勢稲荷大明神

 

 

本堂の西側。 北側から撮っています。

朱色の回廊塀や鐘楼がある東側に比べると、こちらは質素ですね。

通し矢に向けた準備をされているようでした。

 

 

境内にちょこっと花壇みたいな一角があって、そこに咲く清楚な水仙。

 

 

三十三間堂の東側にある法住寺

平安末期 後白河天皇の院の御所として、広大な寺領と栄華を誇りました。三十三間堂は平清盛の寄進で建立された法住寺の堂宇の一つでした。ブログ内法住寺の記事はこちら

 

 

南大門と太閤塀

南門は慶長5年(1600)の建造と推測され、豊臣秀吉が発願した大仏殿方広寺(現京都国立博物館一帯)の南門として置かれたものでした。接する築地塀は高さ5.3m、桁行92mの堂々たる建造物で、蓮華王院(三十三間堂)をも方広寺に取り込み、その南限を区画する目的で設けられたそうです。

 

三十三間堂

正式名称は蓮華王院(れんげおういん)。本堂の南北に伸びる内陣の柱間が33あることから、三十三間堂と通称される。近くにある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。
長寛2年(1165)12月17日後白河上皇の広大な院の御所 法住寺殿内に平清盛の資材協力によって建立された。80年後に焼失したが、まもなく後嵯峨上皇によって再建される。
中央に湛慶が手がけた本尊丈六千手観音坐像を安置し、その左右に千躯の等身大千手観音立像が整然と並ぶ。内陣左右端の風神雷神像、観音二十八部衆の像が千体観音像の前面に安置されている。仏像は全て国宝。
境内南の太閤塀、南大門は、桃山時代豊臣秀吉の大仏殿(方広寺)造営に伴い、三十三間堂もその境内に含まれることから建造された。

 

三十三間堂のHPはこちら

ブログ内妙法院の記事はこちら

東山七条周辺地図

Googleマップ

 

お堂の東に後白河上皇の常の御所(現在の法住寺辺り)があったので、観音様が皆東を向いていらっしゃるのでしょうか?そういえばその後ろ(東)には上皇の眠る法住寺陵が。その更に東に豊臣秀吉の墓所がある阿弥陀ヶ峰。秀吉は後白河上皇の栄華にあやかったという話、良く分かります。

 

年始からギックリ腰になってしまって、やっと回復したリハビリがてらに、取りあえず蓮華王院までは行けました。この歳になると健康問題ばっかり(ノД`)・゜・。

 


建仁寺潮音庭の紅葉。充分間に合いました。

11月の下旬には紅葉狩りに嵐山とか西の方にたくさん行こう!ってはりきっていたのに。

その下旬に風邪をひいて約半月、人混みは良くないのでほぼ引きこもりの生活を余儀なくされていました。そんなこんなでやっと治りかけた今、もうシーズンほとんど終わっちゃってるやん。せめて近くにまだ見頃のところは無いかいなと思い巡らすと、ありました!建仁寺。

 

潮音庭。美しい紅葉でした。実は、潮音庭でまともに撮れたのはこの1枚だけなんです。だから1番上に(^^;。

 

 

八坂通り沿いの勅使門。いつもこの脇の入り口から境内に入って、ショートカットさせてもらってます(拝観もたまには・・)

この八坂通りは東の方向に行くとほぼ突き当りに八坂の塔があります。

 

 

望闕楼と名付けられた三門です。

境内のモミジは(たまに過ぎてるものもありますが)今が見頃という状態。松の緑と真っ赤なモミジ、非常に鮮やかなコントラストです。

 

ぐるっと境内を一回りした後、本坊から上がって拝観しました。どこでも撮影OKの建仁寺さんですが、今回の目的は"紅葉"でしたので室内はあまり撮っていません。

東側の柱に「◯△□乃庭」と名称が書かれた札が付いていましたので、この画像に貼りつけておきました(大きなお世話?)。◯△□は図形なのか記号なのか。前にも書いたけど、キーボードで打てる範囲で良かったわ〜。因みに建仁寺公式サイトの英語ページでは[◯△□Garden]とありました。やっぱりね。だよね。

わたしも「∴∞」乃庭とか、「(´・ω・`)乃庭」とか造りたい・・・。

 

 

潮音庭。これから見頃になりそうです。このお庭の紅葉は遅いので、12月半ばでも充分間に合いました。

 

 

もうそろそろシーズンオフだし、今日は平日だから と思っていましたが、拝観者の多さは予想外でした。

やはり眺めの良い所は多くの方がいらしてなかなか・・って、ヘタな写真はそのせいではありません(すでに言い訳(^^;)

 

 

苔色とか欝金色、緋色などと書いたらいいのかな。とにかく日本の色。(そういえば和の色ってもの凄い数ですね。よう知らんけど。)

 

 

方丈の北にある納骨堂付近の様子です。

 

 

方丈の南から西にぐるりと続く大雄苑。こちらは西側。

上の方の右にある塔は織田信長の供養塔だそうです。

 

 

大雄苑 南側。

唐門の後方に建つのは法堂です。

 

 

大雄苑 南側。法堂に渡る東側の廊下から撮っています。

ゆっくり拝観していましたら、もう夕方になっていました。

 

半月以上も何所にも行けなかったなんて、なんてしつこい風邪なの!?(年齢のせいではないよね。)

それにしても、今年も定番の徒歩圏内で済ませたのね(ノД`)・゜・。

 

以前の建仁寺の記事

2016年3月→ 2014年5月→

 

建仁寺のホームページはこちら

Googleマップ

 


興臨院(大徳寺塔頭) 1週間後にまた行きたくなりました。

高桐院拝観の後、時間が無いけどもう一寺院だけでも と、興臨院の門をくぐりました。

 

白砂に石組を配した方丈庭園

 

 

表門(重文)

受付でいただいた案内書きによりますと、この門は大徳寺山内でも有数の古い門だそうです。平唐門、桧皮葺き、優れた装飾が施されています。(しかしこの画像では何が何だか分からないですね(;_;) ちゃんと説明書きを読んでから撮ればよかった。ヘタなのはしょうがないですけど。)

ちなみに平唐門というのは、平入り(屋根の流れ方向に入り口がある)で、棟の側面に唐破風 がついた門です。

 

 

唐門(重文)

唐破風桧皮葺き。波型の連子窓、客待の花頭窓など室町時代の禅宗建築様式がよく表れているそうです。

 

 

本堂(重文) 方丈形式 一重入り母屋造り。

こちらも室町時代の特徴をよく表し、近代の寺院より低い桧皮葺きの屋根は、優美で安定感があります。内部も寺院建築らしくなく、簡素で素朴な雰囲気。

 

 

方丈前庭

方丈の解体修理完成に際し、資料をもとに昭和の名作庭家 中根金作が復元しました。

その昔中国の寒山・拾得(唐の伝説上の2人の詩僧)が生活していた天台山の国清寺の石橋を模し、大石、松をあしらって理想的な蓬莱の世界を表現したそうです。

 

 

方丈北庭園。

方丈裏の紅葉は大変美しいと聞いていましたが、このときは紅葉している木はあまりありませんでした。全体に涼しい緑のイメージがしたのは、苔の絨毯がとても美しいせいかな。

 

 

1本の楓の木でこんなんにカラフル。

 

苔に落ちたモミジが綺麗なので、スマホカメラを向けていたら、突然画面に人の手が写り、そのモミジが1枚2枚と消えていく・・隣の方が拾っていました。私ってよほど影が薄いのね(;´・ω・)

この日は、時間が無くてゆっくり見て回れなかったのが残念です。

 

興臨院

大徳寺塔頭の一つで、大永(1521)年中より天文2年(1533)の間に、能登の戦国大名畠山義総が仏智大通禅師を開祖として建立した。寺名は畠山義総の法名に由来している。

本堂(重文)は創建直後に焼失したが、天文年中(1532-1555)にすぐに再建され、畠山氏が衰退した後も、前田利家によって修復が行われた。室町時代の禅宗様式を見事に表している方丈玄関の唐門(重文)、表門(重文)は創建当時のものといわれ、「興臨院の古門」として有名である。

寺宝として「椿尾長鳥模様堆朱盆」(重文) を所蔵している。

墓地には畠山家歴代の墓のほか、久我大納言夫妻など、当院ゆかりの人々の墓がある。(駒札より)

 

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