三十三間堂30年ぶりに拝観しました。

今日は通し矢の日ですね。今日行けたら良かったのに。無料開放してるから(そっちかい!?)。

先日、じつに30年ぶりに拝観をしてきました。30年ってすごいですよ。高校の修学旅行で行ったのなら、その30年後は47,8才ですからね。女性なら乙女→熟女ですよ!(責任持てないけど)。0才なら30才!(キリが無いな)。まぁ、建立から800年以上経っている国宝三十三間堂と比べたら、しょーもないことです。

 

お堂の南から北に向かって撮影。長い!途中の出っ張りがあるところが、中央にある向拝でまだ半分。

 

受付で拝観料(600円)を払って、まずは北側にある参進閣という新しい建物で靴箱(棚)に靴を置いて国宝の本堂へ。

 

 

南東から撮っています。やっぱり長いね〜。桁行35間、梁間5間、実長は桁行が118.2メートル、梁間が16.4メートルだそうです(ウィキペディアより)しかも基礎の地盤から梁の構造など様々な工夫をした免震構造です。

 

 

お堂東側中央の正面入り口。工事中でした。

仏像がずら〜〜っと並んでいらっしゃるところが内陣で、その周りを囲む外陣(廊下)から拝観します。

1001体の観音様風神雷神二十八部衆の国宝の仏像の大群です。もちろんその光景にも圧倒されてしまうけど、中央に安置されている像高3m余の千手観音坐像を拝観した時には、荘厳な特別な空気を感じて思わず息をのみました。

30年前の私はどうだったか?あまり記憶が無いところから察するに多分さ〜っと見て、子供に「まんまんちゃん、あん(仏様に手を合わせての関西の幼児語らしい)してね。」と言って通り過ぎたのでは?

ところで、千手観音様は各々の掌に目があるということを初めて知りました。(夫曰く、掌に目が有ったら痛くてモノに触れない。俗物夫婦でスミマセン。)

 

 

本堂の南側です。あの長さを見てきたから、こっちは短か!って感じます。

 

上の画像から・・何となく撮った鬼瓦を確認してみると、梵字が書かれていました。キリークと読み、千手観音菩薩を表すそうです。(阿弥陀如来も同じ梵字のようです。)

 

懸魚(げぎょ)には可愛い猪の目。ハート型♥

 

 

境内 本堂の東側

夜泣き泉
お堂創建翌年の6月7日、ひとりの堂僧が夢のお告げにより発見したという霊泉で、いつも冷たく美味しくお腹を痛めることのない極楽井で、尽きることも余ることもない不思議な泉だと古今著聞集に記されている。夜のしじまに水の湧き出す音が人のすすり泣きに似ることから、夜泣き泉と言われるようになり、いつの頃からか地蔵尊が祀られて、特に幼児の夜泣き封じに功徳があるとされています(駒札より)

 

 

法然塔(名号石)
元久元年(1204)3月、時の土御門天皇が当院で後白河天皇の十三回忌を行なった際、請いを受けた法然上人が音曲に秀でた僧を伴って「六時礼讃」という法要を修しました。この碑はその遺蹟として法然上人霊場にも数えられ、今も参拝する方々があります
(駒札より)

 

 

鐘楼

 

 

庭園の一部。(修理中でした。) 東の朱色の回廊塀の傍では十月桜が咲いていました。

 

 

境内(本堂の西側)

鎮守社 久勢稲荷大明神

 

 

本堂の西側。 北側から撮っています。

朱色の回廊塀や鐘楼がある東側に比べると、こちらは質素ですね。

通し矢に向けた準備をされているようでした。

 

 

境内にちょこっと花壇みたいな一角があって、そこに咲く清楚な水仙。

 

 

三十三間堂の東側にある法住寺

平安末期 後白河天皇の院の御所として、広大な寺領と栄華を誇りました。三十三間堂は平清盛の寄進で建立された法住寺の堂宇の一つでした。ブログ内法住寺の記事はこちら

 

 

南大門と太閤塀

南門は慶長5年(1600)の建造と推測され、豊臣秀吉が発願した大仏殿方広寺(現京都国立博物館一帯)の南門として置かれたものでした。接する築地塀は高さ5.3m、桁行92mの堂々たる建造物で、蓮華王院(三十三間堂)をも方広寺に取り込み、その南限を区画する目的で設けられたそうです。

 

三十三間堂

正式名称は蓮華王院(れんげおういん)。本堂の南北に伸びる内陣の柱間が33あることから、三十三間堂と通称される。近くにある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。
長寛2年(1165)12月17日後白河上皇の広大な院の御所 法住寺殿内に平清盛の資材協力によって建立された。80年後に焼失したが、まもなく後嵯峨上皇によって再建される。
中央に湛慶が手がけた本尊丈六千手観音坐像を安置し、その左右に千躯の等身大千手観音立像が整然と並ぶ。内陣左右端の風神雷神像、観音二十八部衆の像が千体観音像の前面に安置されている。仏像は全て国宝。
境内南の太閤塀、南大門は、桃山時代豊臣秀吉の大仏殿(方広寺)造営に伴い、三十三間堂もその境内に含まれることから建造された。

 

三十三間堂のHPはこちら

ブログ内妙法院の記事はこちら

東山七条周辺地図

Googleマップ

 

お堂の東に後白河上皇の常の御所(現在の法住寺辺り)があったので、観音様が皆東を向いていらっしゃるのでしょうか?そういえばその後ろ(東)には上皇の眠る法住寺陵が。その更に東に豊臣秀吉の墓所がある阿弥陀ヶ峰。秀吉は後白河上皇の栄華にあやかったという話、良く分かります。

 

年始からギックリ腰になってしまって、やっと回復したリハビリがてらに、取りあえず蓮華王院までは行けました。この歳になると健康問題ばっかり(ノД`)・゜・。

 



calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< January 2020 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM