正伝永源院 ゆっくり観賞できました。

織田有楽斎(織田信長の実弟・茶人)ゆかりの建仁寺塔頭寺院「正伝永源院」を拝観しました。

 

山門です。

山門をくぐって左に行くと織田有楽斎や細川家歴代、福島正則などのお墓があります。

有樂斎は織田信長の弟で、長益と号しました。本能寺の変で信長が倒れると豊臣秀吉の配下となります。関ヶ原の戦いでは東軍に属しましたが、戦後も豊臣秀頼の補佐役として出仕を続けました。大坂夏の陣を前にして豊臣家から離れ京都に隠棲、七十五年の生涯を閉じるまで、茶道三昧、悠々自適の生活を送ったそうです。

 

 

鮮やかなツツジが方丈東の庭園を彩ります。

 

 

回廊から。

 

 

方丈前庭を東から撮りました。緑がまぶしいです。

 

 

こちらも方丈前庭。少〜し西から撮りました。

新緑の池泉鑑賞式庭園、池に架けられた石橋の奥でひと際目を引く真っ赤なツツジがとても印象的でした。

 

 

方丈南側の縁から東庭に向かって。

襖絵は元総理大臣細川護熙氏の揮毫で平成24年3月に奉納されました。

 

 

室中から前庭。

緑色の風が吹き抜けるようでした。爽やか!

 

 

本堂の前に掲げられた「正伝院」と「永源庵」の2つの扁額。

正伝永源院は「正伝院」と「永源庵」の2つが統合された寺院です。

明治時代の廃仏毀釈により建仁寺でも多くの塔頭が廃され、無住であった永源庵は堂宇だけを残されました。一方正伝院は京都府による窮民産業所設立のため建物を放棄し、旧永源庵の現在地に移ります。このとき永源庵が廃寺となりますが、「永源」の名が消える事を憂いた細川侯爵によって、2つの寺院は合併し、寺号を「正伝永源院」と改めたということです。

 

 

こちらは茶室「如庵」の写しで平成8年に完成しました。

織田有楽斎が旧正伝院に建立した茶室「如庵」は正伝院永源庵が合併した際に祇園町有志に払い下げられます。その後何度か移築され、現在は名古屋鉄道の所有で、愛知県の有楽苑で保存されているそうです。

 

 

方丈西側の庭と前述の茶室「如庵」。

 

 

方丈の南側の広縁。

 

 

帰る前に名残を惜しんで、もう一度カシャリ!

 

正伝永源院

建仁寺の塔頭寺院、本尊は釈迦如来。

元は正伝院永源庵の二ヶ寺であり、正伝院は文永年間(鎌倉中期1264-1275)に中国僧義翁紹仁勅謚普覚禅師によって開山、永源庵は建仁寺39世無涯仁浩禅師によって正平年間(南北朝時代1346-1370)に開山となった。正伝院は天文年間(1532-1555)に荒廃したが、江戸時代織田有楽斎により再興された。永源庵は無涯禅師に細川頼有が馬上から問法した事が縁で八代に渡って細川家の菩提寺になった。明治期の廃仏毀釈などにより2つの寺院は統合され「正伝永源院」となる。

 

ウィークデイに拝観したせいか、たまたまなのか、ものすごくすいていました。お陰様でゆっくりさせて頂きました。でも、もう少し案内・説明が欲しかったな。(まさか挙動不審なオバサンと思われていたのではたらーっ?)

 

正伝永源院のHPはこちら

Googleマップ

 


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