壬生寺 (壬生狂言と新選組ゆかりの寺院)

古くから京都三大狂言のひとつ壬生狂言や、新選組ゆかりの寺として知られている壬生寺を拝観しました。(京都三大狂言はほかに嵯峨大念仏狂言・千本ゑんま堂大念仏狂言)

 

表門正門) 寛政11年(1799)再建。

主柱と後ろに立つ控柱にも小屋根が乗る高麗門。(そう言えば蛤御門もこんな形だったなぁと調べてみれば、他にも金戒光明寺、島原大門も高麗門でした。が、何のことは無い、江戸時代以降多く築造された形式だそうで、普通に良くある門なのでしたがく〜

 

 

本堂  昭和45年(1970)に再建。

昭和37年(1962)に全焼し、本尊 地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失いましたが、新しい御本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が律宗総本山唐招提寺から遷され、昭和45年に落慶法要が行われたそうです。

 

 

本堂の少し側面から。とてもカラフルです。

 

 

千体仏塔  平成元年(1988)に壬生寺創建1000年を記念して建立されました。明治期の京都市区画整理の際に各地から集められた石仏です。室町時代からの阿弥陀如来像や地蔵菩薩像などちょうど1,000体がミャンマーのパコダのように円錐形に安置されています。

 

 

中院  壬生寺に残る唯一の塔頭寺院。洛陽三十三観音霊場第二十八番札所。現在の御堂は文政12年(1829)の再建で、鎌倉時代に作られた十一面観音菩薩が御本尊です。福寿無量のご利益があり健康長寿に霊験あらたかな観音様だそうです。

 

 

大念佛堂(狂言堂)  安政3年(1856)の再建。重要文化財です。

この建物の二階部分で壬生狂言が演じられます。 綱渡りをする「獣台」、演者が飛び込んで消える「飛び込み」など能舞台には見られない装置がある特異な建造物であることから、国の重要文化財に指定されているそうです。

壬生狂言⇒ウィキペディア

 

 

阿弥陀堂  平成14年(2002)の再建。現代の新しい建築で、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)が安置されています。また地階には壬生寺資料室があり、寺宝や新選組関連の資料が展示されています。

新撰組隊士が合祀されている壬生塚はこの阿弥陀堂から入ります。(200円の入場料が必要でした。)

 

 

壬生塚は池の中島にあり、新撰組隊士のお墓や近藤勇の胸像があります。

左は芹澤鴨と平山五郎、真ん中は隊士7名の合祀されているお墓。右は 河合耆三郎のお墓(墓碑は河合の親族が建立)です。

 

 

 近藤勇の胸像。俳優の故・上田吉二郎氏によって建てられたものです。

局長〜! せっかくですから、横顔も。

 

 

左は一夜天神堂  嘉永5年(1852)の再建。「一夜天神」の名は天神・菅原道真が流罪になった時に、この地を訪れ一夜をあかしたという故事に由来しているそうです。学業上達のご利益。

右は弁天堂  明治27年(1894)の再建。本尊の秘佛・辧財天は、清水寺の延命院より移されたもので、子孫繁栄・金運上昇のご利益があるそうです。

 

 

左は水掛地蔵堂  堂内の地蔵菩薩(石仏)は江戸時代中期の作。水を掛けながら祈ると、一つの願いが叶うと信じられ、「水掛地蔵」と呼ばれています。

右は稲荷明神が祀られている、壬生川の地名に由来した三福川稲荷堂で、五穀豊穣・商売繁盛のご利益を伝えています。(ほかの三社は表門から本堂までの間にありましたが、この稲荷道だけは北門の近くにありました。)

 

壬生寺

三井寺の僧快賢が正暦2年(991)に創建した律宗の寺院。その後火災により堂宇を焼失。平政平によって正元元年(1259)再興され、中興の祖・円覚上人が悪疫駆除のため壬生狂言を始めたことから信仰が盛んになった。新選組ゆかりの寺でもあり、境内の壬生塚には新撰組隊士の墓塔が祀られている。

 

かつては兵法の調練場となり、砲術や剣術の訓練をしていた境内。(仏教は殺生禁断ですから、きっと迷惑なことだったでしょう。)そして、150年以上経った今は、老人ホームや保育園が建っています。

 

壬生寺のHPはこちら

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