八木家 新選組屯所遺蹟 あの刀傷!
文久3年(1863)にこの地で新選組が誕生しました。ここに屯所が置かれ、慶応元年(1865) 西本願寺に移った後も、江戸に下る最後まで繋がりがあったという八木家を見学しました。
短期間でもここに土方さんが、沖田さんが、斉藤さんがいたのね〜なんて、特にファンではないけれど思ってしまった。
門前にある八木家経営の和菓子屋さん、京都鶴屋「鶴寿庵」で入場料1000円を支払い、拝観後にいただける抹茶&和菓子のサービス券と八木家についてのプリントをもらいました。
八木家は幕末期の遺構、また新選組壬生屯所旧跡として、京都市の有形文化財に指定されています。 尚、撮影できるのはこの門の前までということでした。
入り口は長屋門です。長屋門は武家屋敷のほか、地方の名士や旧家などに持つことを認められていました。(長屋門とは⇒ウィキペディア)。
門幕にも描かれている三つ木瓜の家紋は、ご先祖が鎌倉時代 源頼朝の富士裾野の巻き狩りの際に、関東一円を震撼させた白い猪を射止めた功績で頼朝から拝領したと伝えられています。また、この幕に使われている水色は新選組のだんだら模様の羽織と同じ色ですね。壬生の色なのだそうです。
本玄関から中に入らせていただき、新撰組(当初は壬生浪士組)の結成から芹澤鴨暗殺の経緯、その後の新選組などについて興味深いお話をお聞きしました。説明の後はガイドさんに従って主屋の見学をします。
この家は武家屋敷の造りで、部屋の中で刀を振り回すことができないよう鴨居が低いということです。そのため芹澤鴨暗殺時に刀がぶつかったのでしょう。鴨居にくっきりと傷跡が残っていました。(プラスティックで大切に覆われていました。)その傷の下あたりに彼がつまずいて命取りとなった文机がありました。当時のままあるというのがちょっと恐いです。
この日は余りお天気の良くないウィークデイでしたが、にもかかわらず大勢の方が見学されていました。その年齢も様々で、皆さん熱心に聞き入っていらっしゃいました。
見学が終わりましたら「鶴屋」さんでお抹茶と「屯所餅」をいただきます。
この店舗の場所はかつて離れがあったところで、こちらも屯所として使われていました。当初芹澤は主屋の座敷に、近藤はこちらで寝起きしていたそうです。
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新徳寺
新徳寺は新撰組にまつわる最初の大舞台となった場所です。上洛した新撰組の前身浪士組のリーダー清河八郎が浪士達を集めて、大演説をしたのが新徳寺の本堂です。(ウィキペディアより)
八木家の南東方向、すぐ近くにあり、表札には「新徳禅寺」と書かれていました。
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八木家のHPはこちら(家の歴史、新選組について、その関わりなどが詳しく書かれています。)