ビルの谷間 六角堂
街なかにあってこの近辺はよく通ります。それなのになぜか行ったことがない六角堂でした。
六角通りに面した山門。むし暑い日でしたが、ここをくぐった途端ものすごく涼しい!と感じました。
見上げれば、そこら中に千社札が貼られています。
明治10年(1877)再建の本堂。大勢の方がお参りされています。
手前に拝堂が設けられ、内陣には聖徳太子の念持仏と伝える本尊「如意輪観音像」(秘仏-御前立を安置)、脇侍に「毘沙門天立像」(重要文化財)、「地蔵菩薩立像」が据えられています。
また本堂の裏側にも多くの仏像が安置され、小窓から拝見することができます。
ビルの谷間だなーって改めて思います。しかもビジネス街。
親鸞聖人が29才のとき、毎夜叡山を下り六角堂に100日間参籠され、浄土真宗を開くきっかけを得ました。それに因み、この親鸞堂には聖人が夢告を授かるお姿の「夢想之像」・六角堂参籠の姿を自刻したと伝える「草鞋の御影」が安置されています。
それで毎晩叡山を抜け出していた時期に、現在法住寺に安置されている蕎麦食い木像をダミーとして置いていたのですね
六角堂を創建した聖徳太子を祀っている太子堂(開山堂)。「南無仏」と唱える太子2才像や物部守屋と戦った姿を表す騎馬像などが安置されています。
当時この辺りにあった池で太子が沐浴をしたと伝えられ、その池の畔に僧侶の住坊が建てられたことから「池坊」と呼ばれるようになったということです。
ほんとにね、ビルの谷間に本物の白鳥が優雅に泳いでいるとは思いもよらないことでした。しかし、フェンスには「かみつきますので、近寄らないで」の注意書き。白鳥って噛み付くんですね!知りませんでした
山門をくぐると右前方にある、中央にまるい穴の開いた六角形の石。この石が京都の中心であるといわれ、へそ石または要(かなめ)石と呼ばれています。
にこにこした十六羅漢さん。いつもやさしい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、必ず良い報いがあるという教えだそうです。
左下にいらっしゃるのは、お参りに来られた方の願いを手のひらにやさしく包み込み、いっしょにお祈りして下さる合掌地蔵さん。
軒の瓦にも「六角堂」。
六角柳は願をかけると良縁にめぐまれるという縁結びの柳で、枝が地面すれすれまで伸びる姿から地ずり柳とも呼ばれています。
西隣のビルWEST18の展望エレベーターから、六角堂を眺めます。
エレベータの中から撮るのってむずかしいです。シャッター押そうとしたら動いてしまうし。ああ!ちょっと待って!、もう1回上って〜って、エレベータも毎日こういう観光客(私だけか?)を乗せていては、またかよ!?って、うんざりするでしょうね
1Fのスターバックスコーヒーから。全面ガラス張りのコンセプトストアで、緑の木々越しにこの建物を観賞しながらいただくコーヒーはまた格別?です。(できれば、お煎茶かお抹茶もほしいです。)
境内の西側にカラフルなニット帽を被ったお地蔵様が大勢並んでいらっしゃいます。
お地蔵様の前には可愛らしい鳩みくじがずらーっと。
六角堂(頂法寺)
紫雲山頂法寺と号する、天台宗系単立の寺院。西国三十三所第十八番札所、本尊は如意輪観音。本堂が六角宝形造りであることから、「六角堂」の名で親しまれている。
聖徳太子が四天王寺建立の用材を求めてこの地を訪れたとき、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられる。
建仁元年(1201)親鸞聖人が百箇日間参篭して啓示を受け、後に真宗を開宗する根源となる。また、華道池坊の発祥の地としても知られている。
(1974年から翌年にかけて実施された発掘調査の結果、飛鳥時代の遺構は検出されず、実際の創建は10世紀後半頃と推定されているそうです。)
「六角堂」は正式名称の「頂法寺」と言われてもピンと来ないですよね、「八坂の塔」の「法観寺」と同じように。あ、八坂の塔も聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされるものでした。
頂法寺六角堂のHPはこちら
- 2017.07.03 Monday
- 三条・四条
- 00:48
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- by 花散里