大徳寺本坊拝観。

特別公開をしている大徳寺本坊を拝観して参りました。塔頭の芳春院も見たいし時間もあまり無かったので、境内を脇目も振らず突進です。
南門から入り、取りあえず奥へ奥へと。重要文化財の勅使門、山門、仏殿、法堂と続きます。

脇目は振らなかったけど、よそ見はしました。こちら「金毛閣」と呼ばれる山門です。応仁の乱で焼失後、一休禅師の参徒で連歌師宗長の寄進により1階を創建。60年後千利休によって現在の2階2層門となった。この楼上に利休木像を置いたことが秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の因と言われているそうです。内部は非公開。



重文の伽藍を越えて辿り着きました。本坊拝観はこちらから。「臨済宗大徳寺派宗務所」と書かれていました。



庫裏で拝観料を払って上がらせていただきます。写真撮影はギリギリここまででしょうか。後はお庭も含めて全て撮影禁止です〜。

方丈(国宝)
方丈は通常6室に分かれていますが、こちらでは8室に分かれ、大燈国師の像を安置する「雲門庵」が設けられています。
襖絵は全て狩野探幽筆で84面、そのうち北東角の「衣鉢の間」の一枚が焼失、復元模写のため83面が重要文化財だそうです。この「衣鉢の間」の電灯の笠は菊が描かれたアンティークだということでした(もう記憶が薄れているので、違ってたらごめんなさい)。
方丈の北側に廻ると雲門庵の一部が尽きぬけて出っ張っていました。大燈国師が墓所となる寺院を建てる必要は無いと遺言した為に設けられたのが雲門庵(開山堂)だそうです。

方丈庭園
江戸時代初期の枯山水庭園で、国の特別名勝・史跡に指定されています。
南庭は天佑和尚の作庭。一面の白砂で、椿の刈り込みが深山を表し、2つの大石が滝を表しているそうです。中央に国宝の唐門(内側だけど)を見ることができました。
東庭は小堀遠州の作庭。南北に細長く、置かれた石が南から北へだんだん大きくなる遠近法をを用いています。かつては東山の山並みや比叡山を望めたということです。

大徳寺
臨済宗大徳寺派大本山。
1315年に大燈国師(宗峰妙超しゅうほう みょうちょう)が開いた庵が始まりで、花園、後醍醐両天皇の帰依をうけ勅願所となる。
応仁の乱で荒廃した後、一休禅師によって復興された。
桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、菩提寺として総見院を建立、併せて寺領を寄進した。それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極め、広大な寺域に22の塔頭寺院を持つ。また、茶の湯文化とも縁が深く多くの茶室が残されている。

土間から上がると「ようこそお参りでございます。」と声をかけていただいて、心が温まりましたニコニコ

 

Google map



calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM