高桐院(大徳寺塔頭) 縁側に座ってしばらくのんびりしました。

知人に勧められて行ってみました。ほんまに行って良かったと思いました。
大徳寺の塔頭「高桐院」は戦国大名 細川忠興(三斎)が父の藤考(幽斎)のために建立した寺院で細川家の菩提寺でもあります。


高桐院で検索すれば必ず出てくるこの参道、もうここから幽玄な雰囲気、すばらしいアプローチです。



参道を抜けて次は拝観入り口。額縁に切り取られように後ろのお庭(書院の前庭かな?)が見えています。



客殿南庭(本堂の前庭)です。竹林と楓、苔の緑が涼やかで、中央に1つポツンと佇む石灯籠もとっても趣きがあります。どこからともなく聞こえる虫の音と風のざわめきが心地よく、縁側に座ってしばらくの間ボーっとしてしまいました。しかし、紅葉の季節では無理でしょうね。



こちらは室内から。意外に外国の方が多く、皆さん静かにお庭を眺めていらっしゃいました。



本堂の横から西側の庭に降りて見学できました。こちらの庭は「楓の庭」とはまた違った趣があります。



西側の庭にある一段下がったところに据えられた「袈裟形おりつくばい」。加藤清正が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り、細川忠興(三斎)に贈られたそうで、三斎は参勤交代にも持ち歩いたそうです。


庭から見た茶室は鬱蒼とした木々に隠れちゃってますね。後で知ったのですが、室内の写真を撮ってもOKだったようです。



客殿の西、小さな門ををひとつくぐった所に細川忠興(三斎)とガラシャ夫人のお墓がありました。中央の石灯籠が墓塔となっています。
墓前の立て札の文
「此の燈籠の墓は二代細川忠興(三斎公)及び奥方ガラシャ夫人の墓である。初め千利休居士天下一と名づけ愛用の處、豊太閤其の名声を聞き所望す。利休居士その一角を欠き所望をことわり、切腹のおり遺品として三斎公に贈る。三斎公八十才の時熊本より袈裟形の浄水盤と共に当院に持参し墓標とせられ、八十三才 正保二年十二月二日肥後熊本にて夢去。当院三世清巌和尚導師をつとめ遺歯をこの下に葬る。」
楓の庭の灯籠も同じ形をしていると気づき、調べてみましたらこの灯籠の写しだそうです。



森閑としてあまりにも美しかったのでもう一度「楓の庭」。

高桐院
戦国時代の知将であり、「利休七哲」の一人とうたわれた細川忠興(三斎)が父細川藤孝(幽斎)の弟である玉甫紹(ぎょくほじょうそう)を開祖として建立した細川家の菩提寺。
書院「意北軒」は千利休の邸宅を移築したものといわれ、続いて名茶室「松向軒」がある。(客殿北西部にも優美な茶室「鳳来」がある。)寺宝の「絹本墨画山水図」(李唐筆)2幅は南宋初期山水画の名作で国宝。境内には忠興と夫人ガラシャのほか、出雲阿国らの墓がある。

細川ガラシャは明智光秀の三女で名前は「珠」または「玉子」。15歳の時に細川忠興に嫁ぎました。後に密かにキリスト教の洗礼を受け洗礼名は「ガラシャ」。光秀の娘として、また忠興の妻として壮絶な人生を送ります。

拝観時間 9:00-16:30
拝観料 400円
 

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