波心庭、光明院(東福寺塔頭)
東福寺の三門の脇を通り過ぎ、南の六波羅門から出て、さらに南に少し歩くと東側に「光明院」があります。

山門の中に雲嶺庭が見えます。門柱の左に「光明院」右に「光明禅院 昭和名園 波心庭」と書かれています。

山門から左手、きれいな新緑です。 突き当たりに摩利支尊天が祀られています。
この右側に玄関があり、拝観の入り口となっていました。拝観料ではなく志納金を竹筒に納めて拝観するシステムでした。

本堂の前からです。こちらの縁側に座りずーっとお庭を眺めていらっしゃる方がいました。本当にいつまででもそうしていたくなるような・・。
季節的に苔の色がまだ茶色っぽかったのですが、美しい色になったら絶対にまた訪れたい(何度でも!)と思います。

本堂だけでなく書院にも庭に面して縁側があります。そのどこから見ても静謐で清白で凜とした美しさがありました。

網代を張った丸窓から見える景色です。
玄関に一歩足を踏み入れると空気が違うと感じます。がさつな私でも音をたてないようにしよう、粗相をしないように気をつけようと思いたくなる。これが本当の空気を読むかな?なんて思ったとたん、靴箱のところで足を踏みはずした
東福寺塔頭の光明院は1931年に金山明昶(きんざんみょうしょう)により創建されました。
「波心庭」は、JR「そうだ京都、行こう」(2000年秋)のポスターにもなるくらい美しい枯山水です。作庭は先日書いた芬陀院と同じく昭和の作庭家 重森三玲(しげもりみれい)氏によるものです。桜と躑躅(つつじ)の春、新緑の初夏、そして紅葉の季節、四季折々の美しさを見せてくれることから「虹の苔寺」とも言われています。まさに昭和の名園です。
実は山門の前で眼鏡を落とし、レンズがフレームから外れてしまったのです。あわわ!なんとかしなくちゃ!レンズが片方しかない眼鏡をかけたら変なオバサーンって思われちゃうかな。禅寺に入る前からこの心境。ああ、もう煩悩の塊。
「多勢入山者は好みません。庭の自尊心も傷つけますので
是非にと思われる方以外 どうでも良いと思われます方は
自問の上入山しないで下さい。尚皆様方を信じて居ります故
諸作法をお守り下さいますようお願い申し上げます。」
山門右横のたて看板に書かれていました。
私は庭の自尊心を傷つけなかったかな?
「波心庭」の記事はこちらとこちらにも。

山門の中に雲嶺庭が見えます。門柱の左に「光明院」右に「光明禅院 昭和名園 波心庭」と書かれています。

山門から左手、きれいな新緑です。 突き当たりに摩利支尊天が祀られています。
この右側に玄関があり、拝観の入り口となっていました。拝観料ではなく志納金を竹筒に納めて拝観するシステムでした。

本堂の前からです。こちらの縁側に座りずーっとお庭を眺めていらっしゃる方がいました。本当にいつまででもそうしていたくなるような・・。
季節的に苔の色がまだ茶色っぽかったのですが、美しい色になったら絶対にまた訪れたい(何度でも!)と思います。

本堂だけでなく書院にも庭に面して縁側があります。そのどこから見ても静謐で清白で凜とした美しさがありました。

網代を張った丸窓から見える景色です。
玄関に一歩足を踏み入れると空気が違うと感じます。がさつな私でも音をたてないようにしよう、粗相をしないように気をつけようと思いたくなる。これが本当の空気を読むかな?なんて思ったとたん、靴箱のところで足を踏みはずした

東福寺塔頭の光明院は1931年に金山明昶(きんざんみょうしょう)により創建されました。
「波心庭」は、JR「そうだ京都、行こう」(2000年秋)のポスターにもなるくらい美しい枯山水です。作庭は先日書いた芬陀院と同じく昭和の作庭家 重森三玲(しげもりみれい)氏によるものです。桜と躑躅(つつじ)の春、新緑の初夏、そして紅葉の季節、四季折々の美しさを見せてくれることから「虹の苔寺」とも言われています。まさに昭和の名園です。
実は山門の前で眼鏡を落とし、レンズがフレームから外れてしまったのです。あわわ!なんとかしなくちゃ!レンズが片方しかない眼鏡をかけたら変なオバサーンって思われちゃうかな。禅寺に入る前からこの心境。ああ、もう煩悩の塊。
「多勢入山者は好みません。庭の自尊心も傷つけますので
是非にと思われる方以外 どうでも良いと思われます方は
自問の上入山しないで下さい。尚皆様方を信じて居ります故
諸作法をお守り下さいますようお願い申し上げます。」
山門右横のたて看板に書かれていました。
私は庭の自尊心を傷つけなかったかな?
「波心庭」の記事はこちらとこちらにも。