あの世への入り口!? 六道珍皇寺

臨済宗建仁寺派、山号は大椿山(たいちんざん)。本尊は薬師如来坐像。
「清水道」(東大路と松原通り)の交差点を東へずーっと登って行くと清水寺に辿り着きますが、反対に西に少し進むと右手(北側)に六道珍皇寺があります。
「珍皇寺」、正式には何て読むのでしょね。ちんのうじ?ちんこうじ?(仮名で書くとなぜか笑える。)みんな六道さんって呼んでます。


珍皇寺の門前には「六道の辻」と書かれた石碑?があります。
六道とは仏教で死者が転生するところ、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道。
平安時代、この寺辺りが鳥辺野の葬場の入り口にあったことから、ここが現世と冥界の境界「六道の辻」と考えられました。もう少し西の西福寺の傍らにも「六道の辻」の石碑があります。 なんだか恐いよ?松原通り。


本堂前には「あの世への入り口・六道の辻」と書かれた提灯が。
なかなかオカルトなお寺です。


閻魔・篁(タカムラ)堂
堂宇には等身大の小野篁(タカムラ)立像、閻魔大王坐像が安置されています。
閻魔大王坐像は小野篁の作。
「六道まいり」の時以外は格子の間から覗けるだけなのですが、中はかなり暗いです。
ここで私はオバカなことをやらかしました。堂宇の中の下の方にあった撮影禁止の札に気付かず、閻魔大王様に向けて畏れ多くもシャッターを押してしまいました。その直後に気付き、うわ〜!ヤバイ!!、すぐに削除して、お賽銭を入れてゴメンナサイをしました。閻魔大王様、どうかお許し下さいm(__)m
小野篁(802〜852)は嵯峨天皇に遣えた平安初期の政治家であり、文人、歌人としても知られる。また、武術百般にも優れた文武両道の人物であった。不羈(才能や学識が余りにも優れていて常識では律しにくい・束縛されない)な性格で奇行も多く、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔王宮の役人であったという伝説がある。篁は三十代半ばで遣唐副使に選出されながらも、遣唐使制度を風刺した詩を詠んだことなどから、嵯峨天皇の怒りに触れて隠岐へ流罪、官位を剥奪されたこともある。その後帰京・復位を許され、学識を高くかわれて順調に官位を登り、従三位という高位に就いている 。


鐘楼
鐘は中にあるので見られないのですが、穴から出ている綱を引いて鳴らします。
この鐘の音は、遠くは十万億土の冥土まで響き渡るといわれています。
十万億土って、ワープを何回も繰り返してやっと辿り着けるような、イスカンダルよりも遙か彼方ってことですね???
「六道珍皇寺」では盂蘭盆会前の4日間(8月7日から10日まで)「六道まいり」が営まれ、多くの参拝者で賑わいます。参拝者はこの鐘の綱を引いてご先祖様の霊(お精霊おしょらいさんと呼んでます)をお迎えします。

続き↓ 篁 冥土通いの井戸


篁 冥土通いの井戸
ここも格子の間から覗くことしかできませんでした。
エスパー小野篁が閻魔庁の役人として、現世と冥界の間を行き来するのに使ったところといわれています。出口として使ったところは、嵯峨大覚寺の南付近に明治初期まであったとされる福生寺だったという説があります。井戸の傍の小祠には、篁の念持仏であった竹林大明神が祀られています。
十万億土の冥土・・出口は嵯峨・・。時空を超えた話は分かりません、エスパー。唖然
 

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