勧修寺 広大な名勝庭園と豪華な襖絵!

随心院拝観後は、歩いて勧修寺まで移動しました。こちらも非公開文化財特別公開をしています。

 

観音堂

勧修寺と言えば、すぐに頭に浮かぶのがこの観音堂です。
昭和6年に再建され、観音堂または大斐閣とも呼ばれているそうです。

 

 

築地塀が続くこの参道も良い雰囲気です。

 

 

山門です。

 

 

宸殿
元禄10年(1697)に明正天皇(女帝)の旧殿を賜り、移築したものと伝わります。
中央の階段を上がると内部は書院造りで、左手の一段高い上段の間から、二の間・三の間と一列に並んでいます。
明治5年(1872)からの約5年間は、なんと勧修小学校の校舎・教室として使用されていたそうです。(宸殿造や書院造についてメッチャ学識豊富な小学生になったりして。)

 

宸殿の後ろに書院があります。
江戸初期 後西天皇の旧殿を下賜され移築したものと伝わりますが、明正天皇の旧殿という説もあるそうです。
内部は門跡の御座所で、まずは「次の間」から拝観しました。土佐光起の筆による「近江八景図」が描かれた襖絵を暫し鑑賞して奥の「上段の間」へ。「上段の間」には勧修寺棚と呼ばれる違い棚があり、襖絵は土佐光成(光起の子)の筆による「竜田川紅葉図」が描かれています。土佐派の絵師親子による豪華な共演でした。

 

 

南側(氷室池の方)から見て、宸殿(右)と書院が並びます。

 

 

五大堂

 

 

本堂
江戸前期霊元天皇より仮内侍所を賜り移築したと伝えられます。
檜皮の屋根が〜。昨年の台風21号のせいでしょうね。

 

 

平安時代の遺構とされる広々とした庭園を拝観しました。

広大な「氷室池」では、杜若と睡蓮がとても涼しそう。(引き籠っているうちに初夏になっていました。)

 

 

新緑も美しい。

 

 

氷室池から観音堂。

 

 

書院前庭の「勧修寺型灯籠」
水戸光圀公のご寄進で、雪見型をアレンジして創作されたそうです。もっと下の方まで見えないとユニークな形が分からない。でも私の身長ではこれが限界(´Д⊂ヽ

回りは地面を這うようにして枝を伸ばすヒノキ科の常緑低木ハイビャクシン (這柏槙)で、樹齢約750年ということです。(樹齢って言うと何だか背の高い木を想像しちゃうけど。)

 

修行大師尊像

 

 

 

 

 

 

 

勧修寺
真言宗山階派の大本山、山号は亀甲山。昌泰3年(900)に醍醐天皇が生母藤原胤子の菩提を弔うため創建された勅願寺。開山は奈良東大寺の承俊律師。寺号は醍醐天皇の祖父、藤原高藤の諡号をとって勧修寺とした。代々法親王が入寺し、格式を誇った門跡寺院。

庭園も本当にすばらしく、京都市の名勝に指定されています。京都市都市緑化協会のこちらのページに詳しく書かれています。

 

庭園内に「この先に行かれるのはご自由ですが、大いに危険」と書かれた札が下がっていました。私は一人で来ている高齢者ですし、人一倍体力にも運動神経にも自信が無いので、大いに危険を感じて遠慮しておきました。皆さんどんどんその先に行かれるのでちょっと羨ましかったです。

気になっていたので帰宅後ストリートビューを開くと、「この先」にちゃんと行けました(*´Д`)

 

Googleマップ
 


随心院 目の覚めるような襖絵と秘仏如意輪観音菩薩像 拝観。

春期京都非公開文化財特別公開で山科の随心院と勧修寺を拝観しました。

忘れないうちにまずは随心院から・・。

 

総門。二条家から移築されたものだそうです。

門をくぐると皐月(ツツジかな?)が咲き揃う鮮やかな小径でした。

 

 

拝観入り口はこの長屋門を抜けて庫裏にありました。

塀のこの辺りは下の方の定規筋が風化して無くなっちゃたのかな?

 

 

小野小町歌碑。

有名な「花の色は移りにけりないたづらに〜」の歌ですね。

物思いにばかりふけっていないで、もっとアンチエイジング頑張れば良かったのに(;´・ω・) と 僭越ながら思うのです。(他人事じゃ無いところが辛い!)

 

 

拝観入り口のある庫裏。ご夫婦(多分)で来られてる方々が多かったように思います。

 

 

受付から一段上がったところ。ちょっと艶かしい雰囲気の小町さんがお出迎えしてくれました。(元がピンボケ写真でかなり修整しました(^^;) 

 

 

伽藍を繋ぐ多くの渡り廊下と、その間数か所には、ほっと癒される中庭がありました(´▽`)

 

 

表玄関から藥医門を撮りました。裏側ですけどね。(表から門を撮りたかったのですけど、門の前でミニライブが開催されていたので断念。)

 

 

表書院に続くぬれ縁から本堂を。

 

 

書院で狩野派の障壁画を鑑賞しながら、能の間へ行きます。

物凄く鮮やかな色が視界に飛びこんできました。

 

 

昨年くらいから話題になっていたのでしょうか。はねず色の襖絵「極彩色梅匂小町絵図」です。私がイメージするはねず色よりも濃くて鮮やかで、すごいインパクト! 派手すぎなんて声もあったそうです。智積院の堂本印象の襖絵だって、当時は斬新すぎて随分話題になったということですけれど、今はもうすっかり馴染んでますから。

 

 

あれ?蔀戸(しとみど)だ、と思ったら、本堂は寝殿造で桃山期の建築なのだそうです。

奥の須弥壇はご本尊の如意輪観世音菩薩像を中央に、阿弥陀如来坐像 薬師如来坐像 釈迦三尊像 不動明王像 弘法大師 仁海僧正坐像などが安置されていました。普段はここまで近くには寄れないのですが、特別公開では正面のお姿だけでなく横からも拝観できるようにされているとのことでした。

立てた片膝に腕を乗せ頬杖をつく、何とは無しに物憂げな雰囲気を持った如意輪観音様に私は一目惚れしました(*´Д`)

 

 

本堂回りの庭園、南側の一部。

吹く風も爽やかで、発声練習をするウグイスの声もどこからか聞こえていました。

これだけ多くの木々ですから、紅葉のときにも訪れたいものです・・・混みますよねぇ。

 

 

本堂の北側、境内の東のお庭に小町堂という小さなお堂がありました。扉が開いていましたので、ズームアップして撮影。後で知りましたが女性のための納骨堂なのだそうです。

 

本堂から奥書院に行く途中の小間で、小野小町文張(ふみはり)地蔵尊像と小町晩年の姿を写したと言われる卒塔婆小町坐像を拝観しました。卒塔婆小町はちょっと濃い雰囲気の歯が抜けたおばあさんでした。あぁ、ほんまに花の色は移りにけりな・・・ですね。

次に奥書院では狩野派による宮廷人物図、賢聖の障子、竹虎図などを鑑賞しました。

 

 

小町化粧井戸(けわいのいど)。藥医門の南西に位置します。

小野小町は朝夕この水で化粧をこらしたと伝えられているそうです。覗いて見ると雨水が溜まっているのでしょう、お水は底の方に少し、落ち葉も沢山浮いています。少しほの暗いので、石段を降りていくのもちょっと怖いです。当時はどんなところだったのかしら?

 

随心院

真言宗善通寺派の大本山。平安時代 弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正により開基。古くは牛皮山曼荼羅寺と称された。第五世、増俊阿闍梨の時に曼荼羅寺の子房として、隨心院が建立される。その後、親厳大僧正が後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り、以来随心院門跡と称される。応仁の乱により、伽藍のほとんどは焼失したが、1599年に本堂が再建される。以後、九条家・二条家より門跡が入山し、両家の由緒を持って寄進再建された。(案内パンフより)

また、宮仕えを辞めた小野小町が余生を送った寺院といわれ、ゆかりの史跡がある。

 

小野小町は今で言うキャリア官僚で絶世の美女。能書家小野道風の従妹で、あの小野篁の孫(現在ではその説に否定的)とも言われています。恐るべし、小野家の遺伝子!

 

随心院のHPはこちら

Googleマップ

 


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