芳春院(大徳寺塔頭)、美しい楼閣山水庭園

大徳寺本坊と同日に芳春院を拝観しました。本坊からさらに北へ進みます。


苔に覆われた美しい庭を眺めながら石畳の参道を歩きます。



右に折れてもう一度門をくぐると、左に唐門と花頭窓が見えました。



花頭窓の向こうに本堂南の「花岸庭」が少し見えます。写真が撮れるのはここまでですね。

唐門から渡り廊下伝いに本堂に入ると、ほのかに蝋梅の香がしていました。
本堂には本尊釈迦如来像や開祖玉室宗珀[ぎょくしつ そうはく](大徳寺の宗峰妙超[しゅうほう みょうちょう]もそうだったけど何でこんなに読みにくい?)の木像が安置され、また芳春院(まつ)の木像や前田家歴代の御霊牌が祀られています。須弥壇の下の引き戸に描かれた桔梗の花は、まつが好きだった花だそうです。本堂の一角には利家とまつが描かれた西陣織でできた掛け軸もありました。
芳春院は大徳寺の中で一番北に位置しますので、本堂の縁から大徳寺の塔頭が全部見えます。京都は北へ行くほど高いのでなんと南の東寺の五重塔と同じ高さになるとか。

本堂の南庭は「花岸庭」と名付けられた白砂が広がる枯山水で、山深い渓谷から流れ出る水がやがて湖にそそぎ、大海に帰るという山水の様を表しているそうです。

本堂北側には優美な庭園がありました。市内でも珍しい楼閣山水庭園だそうです。二重楼閣「呑湖閣」が建ち、小堀遠州によって造られた「飽雲池」、本堂と呑湖閣を結ぶ「打月橋」。「呑湖閣」は閣上から比叡山を東に望み、その向こうに広がる琵琶湖を飲み干すの意で、金閣、銀閣、西本願寺の飛雲閣と並び京の四閣と称されます。また「打月橋」の打月とは月を見て遊ぶという意味だそうです。この池の畔から比叡山が見えていましたよ。

芳春院
臨済宗大徳寺派の塔頭寺院。
1608年前田利家の正室、まつが玉室宗珀を開祖として創建した前田家の菩提寺。1796年の火災により創建時の建物は失われたが、前田家11代・治脩により2年後に再建されている。



ガイドの方が前田家の梅鉢紋の説明を少しされていましたが、帰りに中門の屋根を振り返るとありました。梅鉢紋。

 

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大徳寺本坊拝観。

特別公開をしている大徳寺本坊を拝観して参りました。塔頭の芳春院も見たいし時間もあまり無かったので、境内を脇目も振らず突進です。
南門から入り、取りあえず奥へ奥へと。重要文化財の勅使門、山門、仏殿、法堂と続きます。

脇目は振らなかったけど、よそ見はしました。こちら「金毛閣」と呼ばれる山門です。応仁の乱で焼失後、一休禅師の参徒で連歌師宗長の寄進により1階を創建。60年後千利休によって現在の2回2層門となった。この楼上に利休木像を置いたことが秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の因と言われているそうです。内部は非公開。



重文の伽藍を越えて辿り着きました。本坊拝観はこちらから。「臨済宗大徳寺派宗務所」と書かれていました。



庫裏で拝観料を払って上がらせていただきます。写真撮影はギリギリここまででしょうか。後はお庭も含めて全て撮影禁止です〜。

方丈(国宝)
方丈は通常6室に分かれていますが、こちらでは8室に分かれ、大燈国師の像を安置する「雲門庵」が設けられています。
襖絵は全て狩野探幽筆で84面、そのうち北東角の「衣鉢の間」の一枚が焼失、復元模写のため83面が重要文化財だそうです。この「衣鉢の間」の電灯の笠は菊が描かれたアンティークだということでした(もう記憶が薄れているので、違ってたらごめんなさい)。
方丈の北側に廻ると雲門庵の一部が尽きぬけて出っ張っていました。大燈国師が墓所となる寺院を建てる必要は無いと遺言した為に設けられたのが雲門庵(開山堂)だそうです。

方丈庭園
江戸時代初期の枯山水庭園で、国の特別名勝・史跡に指定されています。
南庭は天佑和尚の作庭。一面の白砂で、椿の刈り込みが深山を表し、2つの大石が滝を表しているそうです。中央に国宝の唐門(内側だけど)を見ることができました。
東庭は小堀遠州の作庭。南北に細長く、置かれた石が南から北へだんだん大きくなる遠近法をを用いています。かつては東山の山並みや比叡山を望めたということです。

大徳寺
臨済宗大徳寺派大本山。
1315年に大燈国師(宗峰妙超しゅうほう みょうちょう)が開いた庵が始まりで、花園、後醍醐両天皇の帰依をうけ勅願所となる。
応仁の乱で荒廃した後、一休禅師によって復興された。
桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、菩提寺として総見院を建立、併せて寺領を寄進した。それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極め、広大な寺域に22の塔頭寺院を持つ。また、茶の湯文化とも縁が深く多くの茶室が残されている。

土間から上がると「ようこそお参りでございます。」と声をかけていただいて、心が温まりましたニコニコ

 

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高桐院(大徳寺塔頭) 縁側に座ってしばらくのんびりしました。

知人に勧められて行ってみました。ほんまに行って良かったと思いました。
大徳寺の塔頭「高桐院」は戦国大名 細川忠興(三斎)が父の藤考(幽斎)のために建立した寺院で細川家の菩提寺でもあります。


高桐院で検索すれば必ず出てくるこの参道、もうここから幽玄な雰囲気、すばらしいアプローチです。



参道を抜けて次は拝観入り口。そこからもう額縁に切り取られように後ろのお庭(書院の前庭かな?)が見えています。



客殿南庭(本堂の前庭)です。竹林と楓、苔の緑が美しく涼やかで、中央に1つポツンと佇む石灯籠もとっても趣きがあります。どこからともなく聞こえる虫の音と風のざわめきが心地よく、縁側に座ってしばらくの間ボーっとしてしまいました。しかし、紅葉の季節では無理でしょうね。



こちらは室内から。意外に外国の方が多く、皆さん静かにお庭を眺めていらっしゃいました。



本堂の横から西側の庭に降りて見学できました。こちらの庭は「楓の庭」とはまた違った趣があります。



西側の庭にある一段下がったところに据えられた「袈裟形おりつくばい」。加藤清正が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り、細川忠興(三斎)に贈られたそうで、三斎は参勤交代にも持ち歩いたそうです。


庭から見た茶室は鬱蒼とした木々に隠れちゃってますね。後で知ったのですが、室内の写真を撮ってもOKだったようです。



客殿の西、小さな門ををひとつくぐった所に細川忠興(三斎)とガラシャ夫人のお墓がありました。中央の石灯籠が墓塔となっています。
墓前の立て札の文
「此の燈籠の墓は二代細川忠興(三斎公)及び奥方ガラシャ夫人の墓である。初め千利休居士天下一と名づけ愛用の處、豊太閤其の名声を聞き所望す。利休居士その一角を欠き所望をことわり、切腹のおり遺品として三斎公に贈る。三斎公八十才の時熊本より袈裟形の浄水盤と共に当院に持参し墓標とせられ、八十三才 正保二年十二月二日肥後熊本にて夢去。当院三世清巌和尚導師をつとめ遺歯をこの下に葬る。」
楓の庭の灯籠も同じ形をしていると気づき、調べてみましたらこの灯籠の写しだそうです。



森閑としてあまりにも美しかったのでもう一度「楓の庭」。

高桐院
戦国時代の知将であり、「利休七哲」の一人とうたわれた細川忠興(三斎)が父細川藤孝(幽斎)の弟である玉甫紹(ぎょくほじょうそう)を開祖として建立した細川家の菩提寺。
書院「意北軒」は千利休の邸宅を移築したものといわれ、続いて名茶室「松向軒」がある。(客殿北西部にも優美な茶室「鳳来」がある。)寺宝の「絹本墨画山水図」(李唐筆)2幅は南宋初期山水画の名作で国宝。境内には忠興と夫人ガラシャのほか、出雲阿国らの墓がある。

細川ガラシャは明智光秀の三女で名前は「珠」または「玉子」。15歳の時に細川忠興に嫁ぎました。後に密かにキリスト教の洗礼を受け洗礼名は「ガラシャ」。光秀の娘として、また忠興の妻として壮絶な人生を送ります。
先に書いた「瑞峯院」のキリシタン大名でありながら法名の「宗麟」で知られている大友宗麟、洗礼名の「ガラシャ」の方が有名な細川ガラシャ。いや、どうでもいいことに視点が行ってしまいましたひやひや

拝観時間 9:00-16:30
拝観料 400円
 

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瑞峯院(大徳寺塔頭)キリシタン大名大友宗麟の菩提寺

キリシタン大名の菩提寺・・書いてから気が付きました。キリシタンなのに菩提寺は仏教、んん?とまあそれはおいといて・・。
大徳寺の塔頭「瑞峯院」です。


拝観受付を済ませ、方丈に出る前にまず中庭。このときは気が付かなかったのですが、この灯篭はキリシタン灯篭だそうです。そういえば台座が無いというか、ちょっと形が変わってます。真四角な手水鉢も珍しいと思います。



方丈前庭の「独座庭」です。荒波に打ち寄せられても雄々と独座している蓬莱山の風景だそうです。以前に東福寺の塔頭寺院で見たお庭と同じ雰囲気が・・と思ったらやはり重森三玲氏の作でした。



こちらは方丈裏の「閑眠庭」です。



受付でいただいた冊子によると開基大友宗麟がキリシタン大名として知られていることから、中庭にあるキリシタン灯篭を中心に7個の石組みからなり、縦に4個横に3個の石の流れが十字架に組まれているそうです。が、ぜんぜん分からなかった。え〜?灯篭ってどこよ?



あとで色々調べて分かりました。灯篭を中心に・・の意味が私の頭では理解できなかったんです。先に撮った中庭(方丈の東側)にあったキリシタン灯篭、あれを起点にして見れば斜めに十字架が架かってます。こんなところに三玲コード?が仕込んであるとはひやひや



最初に撮ったこの中庭。なんだか可愛かったので向きを変えてもう一枚ニコニコ

天文4年(1535)九州の戦国大名大友義鎮(宗麟)が帰依した大徳寺の徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)和尚を開祖に迎え、自らの法名「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」から瑞峯院と名付けた。宗麟は後にキリスト教の洗礼を受け、キリシタン大名として知られている。
方丈・唐門・表門は重要文化財。方丈に掲げられた「瑞峯院」の寺額は後奈良天皇の宸筆による。庭園は「独座庭」「茶庭」「閑眠庭」の三面がありいずれも枯山水の名園(重森三玲作)であるが、「茶庭」は近年改築された。なお、寺内には「安勝軒」「餘慶庵」「平成待庵」の3つの茶室がある。

せっかく改宗して洗礼名をいただいても、法名である「宗麟」の方が有名な人なんですね。しかし、戦国大名「大友ドン・フランシスコ」って言われてもなんだかなぁ困惑

拝観料   400円
拝観時間  9:00-17:00

 

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