御霊神社 怨霊鎮魂の神社で、応仁の乱勃発の地。

先日のつづき・・って随分経っちゃってますけど。寺町を南下していましたら「御霊神社」を示す碑がありました。しかも上部に時計が埋め込まれていて、時間も教えて下さる大変親切な石碑です。御霊神社といえば応仁の乱が始まったという?・・この近くなんだ!(何十年京都に住んでるんや)とお参りさせていただきました。

 

西側正面の鳥居です。最初は南側の楼門を通りましたけど、やっぱり鳥居のある正面から入らないとね・・とこちら側に回りました。鳥居には菊の御紋が付いています。

鳥居の左側の足元に花御所八幡宮、鳥居右側数メートルのところに応仁の乱勃発地の石碑がありました。

 

応仁の乱勃発の地
かつては御霊の森と呼ばれ、広大な土地に樹木が鬱蒼と生い茂ったこの地で、文正二年(1467)畠山政長と家督を争っていた義就の合戦が起こったことが応仁の乱の始まり(その年3月に年号が応仁と改まりました)。初めは小規模だったものが細川氏・山名氏の勢力争いに発展し、将軍家の後継争いも加わって、10年以上にも及ぶグダグダな戦いを続け、京都の大半を焦土にしたっていうやつです。
ご当地ネタで京都で先の大戦と言えば応仁の乱って言うあれですね。私が今まで拝観したお寺さんなどの歴史を見ると、大抵どこかに応仁の乱により焼失というフレーズありました。

 

 

鳥居の後ろに狛犬さんと立派な楼門。楼門の左右には随身像が置かれてます。

 

 

拝殿には賽銭箱の両脇と東側本殿の正面にお花が生けられていました。拝観者はほとんどなく、ひっそりとした境内でしたが、ここだけは華やかです。

 

 

本殿は、享保18年(1733)に寄進された内裏賢所御殿の遺構を昭和45年に復元したものです。

 

御霊神社の起こり

長岡京造営を進めていた桓武天皇の信頼厚い藤原種継が暗殺され、天皇の実弟である早良親王が罪に問われました。親王は無実を訴えるため一切の食を拒み、淡路島へ護送される途中無念のうちに亡くなったと伝えられています。
親王の死後桓武天皇の身内が次々と亡くなり、また疫病の流行などが相次いで起こります。親王の祟りと恐れた桓武天皇が、平安遷都の際に都の守り神として相良親王を祀ったことが始まりで、本殿には政争により非業の死を遂げた八柱の神霊が祀られたといわれています。

 

無実の罪を着せておいて、神様にするから祟らないでねって。それで都を守って下さっているとは、なんと寛容なお心でしょう。(定価で買ったものがセールになってるのを見てムカッ!とくるくらい心が狭い私には出来ないことです。)

ところで、このところ続いている天災も祟りじゃ無いですよね?今日も台風来てるし。もう来ないでね。

 

 

福寿稲荷神社[境内社]は江戸時代中期以前より、祀られていたそうです(初めは本殿南側にあった)

五穀豊穣・福徳円満・長寿延命・生業繁栄の御神徳があります。

 

 

神明神社[境内社]。本殿の後ろあたりです。

 

実はこの辺から3秒もカメラを構えていられなくなりました。私他人には好かれませんが、蚊の皆さんには良い人だと思われてるらしく、おおきに〜と大挙して群がってきます。(敵!と認識されているのでは?と思わなくも無いけど。)

 

 

厳島神社[境内社]

 

 

花御所八幡宮[境内社]

西側の大きな鳥居の下にある石碑の花御所八幡宮はここを示しているのでしょうか。

この地より南西約1劼里箸海蹐紡利将軍家が造営した花の御所があり、その鎮守として源氏の氏神である八幡神が勧請されたそうです。本来の場所は御所八幡町(烏丸上立売下る)と考えられています。尚、足利尊氏が邸内に勧請した御所八幡宮とは別のものだそうです。

 

 

南門は四脚門ですね。真正面に見える拝殿は西側の楼門からも一直線です。

右の御霊神社と刻まれた石碑にも時計が付いていました。何ゆえ?

 

京都で最古のお祭り

毎年5月1日から18日に行われる御霊祭は、千年以上も続く歴史あるお祭りです。最も盛り上がりを見せる18日の還幸祭では、剣鉾・3基の神輿、八乙女・稚児・若武者・牛車などが氏子地域を練り歩きます。

 

5月上旬頃に咲き乱れる紫のイチハツ(アヤメ科)や、秋には黄色い銀杏の絨毯と紅葉のコントラストも大変美しいそうです。また混みあうことも無いらしいですから、そのシーズンにも行ってみたいなと思います。

 

あ、そうや!季節によっては虫よけは必需品でしょう。

 

Googleマップ


天寧寺 額縁門から望む景色もお庭も素敵でした。

久しぶりの良いお天気でしたので、鞍馬口通りから寺町辺りの寺社を訪れるMy散歩をしました(9/19)

 

鞍馬口通りから寺町を南下すると左手に見えてくる天寧寺

額縁門」と呼ばれる山門から望む景色が有名な曹洞宗の寺院です。

 

 

本当に額縁に入れたように比叡山が収まってます。まるで絵画のようですね。

 

 

庫裏です。

手前に酔芙蓉の木がありましたが、まだ蕾の状態でした。

 

 

表門・本堂

江戸時代後期の伽藍の形態をよく伝え、市内においては数少ない曹洞宗の近世寺院建築として貴重であるということです。
塀の後ろ本堂脇に見える巨木は市内有数のカヤの大木で、京都市登録天然記念物とされています。

 

 

観音堂
後水尾天皇の念持仏の聖観音像と中宮東福門院の念持仏 薬師如来像が安置されています。

 

 

まんじいなり

 

 

わらべじぞう
ジュースのお供えがたくさん。

 

 

門をくぐってから撮りました。普通街中のお寺は山門から入ると正面に本堂があったりするのですけど、天寧寺は比叡山借景を遮らないようにするためか本堂や書院は左手にあります。

 

 

これは紫式部?小紫?ツヤツヤの綺麗な実を付けていました。

 

 

シュウメイギクはこれからかな?咲いているのはまだ2,3輪というところ。

 

 

ヤブランは今が盛りのようです。

その他にもススキの穂や、白萩の花もチラホラと。酔芙蓉は咲いていなくて残念でしたけど、随分と色々な種類の植物が植えられているのでしょう。綺麗に整えられたお庭は四季折々の花が楽しめるのですね。

 

天寧寺

山号は萬松山(ばんしょうざん)と号し曹洞宗に属する。

もと会津城下にあったが、天正年間(1573-1592)にこの地に移送されたと伝えられている。その後天明の大火により堂宇を焼失したが、本堂は文化9年(1812)に、書院は天保14年(1842)に再建された。本堂には仏師春日作と伝える本尊釈迦如来像を、観音堂には後水尾天皇の念持仏聖観音像及び東福門院の念持仏薬師如来像を安置している。境内墓地には江戸時代の茶人として有名な金森宗和、剣道示現流の開祖といわれる善吉和尚らの墓がある。

山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額縁に入れたように見えるところから、山門は「額縁門」と呼ばれて親しまれている。

(駒札より)

 

非公開ですが、境内は拝観できます。いいお寺でしたよ(^^)/

 

Googleマップ

 


神泉苑は Shinsenen Temple だったのですね。

東山ばかりでなく たまには少し離れた所も散歩しようと、1週間ほど前になりますが 二条城の南に位置する神泉苑に行ってみました。

 

苑内の広大な法成就池

新緑の中、龍の頭をした船が見えて、あら素敵!竜頭鷁首?(りょうとうげきしゅ--平安時代の貴族が池や泉水に浮かべ、管弦の遊びなどに用いた)と思ったけど、良く見たら屋形船でしたたらーっ 苑内にある料亭平八さんの船のようです。

 

 

善女龍王社 中央の島に祀られています。

日照りが続く天長元年(824)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が天竺の無熱池から善女竜王様を勧請して見事雨を降らせたそうです。

本殿、拝所、中門、拝殿に構成され、棟札によると文化10年(1813)に改築、そして200年を経た平成25年から2年にわたり大規模な修復工事が行われました。

 

 

恵方社

とても小さいですが、日本で唯一のお社で、その年の福徳を司る歳徳神(としとくじん)がお祀りされています。

毎年大晦日の晩に、翌年の恵方に合わせてお社の向きが変えられます。お社の正面からお参りすればその年の恵方に向かってお参りできるのだそうです。(恵方巻を食べるときに向く方角ですよね?)

 

 

法成就池に架かる赤い橋、法成橋(ほうじょうはし)です。

橋の西側の立て札に 心に願いを念じながら渡り、その願いを橋の向こうにある善女龍王様にお願いすると叶うと言われています。(願いはただ一つ) と書かれていました。

眺めていると、にわかに若い女性たちが現れて橋の上で撮影会。あまり人のいない庭園が一気に華やか、賑やか!大したパワーです。彼女たちは何もお願いする事が無いように幸せそうでしたニコニコ そういう私も願い事を忘れてた大変幸せなオバチャンですたらーっ

 

 

増運弁財天(弁天堂)

屋根瓦には眷属としてナマズがついています。画像左下に拡大して付けておきました。

 

 

矢劔大明神(鎮守稲荷社)

参拝者の身体を守護されるそうです。

 

 

庭園東側の鎮守稲荷社の方から、西に向かって撮りました。

街中で庭園を撮るとだいたい背後にビルが映ってしまう。まぁ、それも今の京都の風情です。

 

 

苑内至る所にピンクのサツキ!鮮やかですねぇ。

 

 

神泉苑の本堂

弘化4年(1847)、東寺の大元帥堂としてあったものを移築したそうです。

ご本尊 聖観世音菩薩立像、不動明王坐像、弘法大師像が安置されています。

鳥居をくぐって入りましたし、神様を祀ったお社たくさんあって、何と言っても名前は「神泉苑」。お寺だとはなかなか思えませんが。

そうそう、寺務所で購入した冊子の表紙には「平安京最古の史跡 東寺真言宗 神泉苑 SHINSENEN TEMPLE」とありました。(寺務所という時点でお寺ひやひや)

 

 

法成橋から入り口の鳥居を撮りました。

 

 

池辺でくつろぐアヒルさんたち。何とも言えない素敵なお尻です。

謡曲「鷺」で、醍醐天皇から五位の位を賜った鷺の由来が神泉苑にあるそうですが、このアヒルさんたちにも官位をあげてください。

 

神泉苑

延暦13年(794)桓武天皇が平安京の造営にあたり、大内裏の南の沼沢を開いて設けられた禁苑。広大な苑内には大池と中嶋のほか、乾臨閣や、釣殿、滝殿などもあり、歴代の天皇や貴族が舟遊び、花見、詩や歌、弓射、相撲などを楽しんだと言われている。また貞観5年(863)には御霊会が行われ、祇園祭の起源となった。源義経と静御前の出会いの地という伝承もある。

現在は東寺真言宗の寺院。

 

規模は大分縮小されたとは言え、平安遷都の時から、つまり1200年以上もずーっとここにあるのですね。人も少なく、無料でゆっくり散策できました。無料が大好きな私が今まで行ったことがなかったなんてひやひや

 

神泉苑のHPはこちら

Googleマップ

 


人形の寺 宝鏡寺 (お庭も美しいです)

前の記事が昨年の11月だったとは。ずいぶん長い間冬眠していました。

1週間ほど前に春の人形展が開催されている尼門跡寺院「宝鏡寺」に行って参りました。

元々良くない記憶力なのに、1週間も経つとそれが更に曖昧に・・。すぐに書かなければダメですね(それでもあまり覚えてないけどひやひや)。

大門
天明8年(1788)の大火で宝鏡寺も類焼しましたが、大門・書院・本堂・阿弥陀堂・玄関・使者の間が復興され、現在京都市指定有形文化財に指定されています。

 

 

受付で拝観料(600円)を納め、順路を行くと間もなく現れるのがこちらの「使者の間」。唯一撮影OKの場所でしたから、十二単をお召しになったマネキンさん?を撮らせていただきました。小顔で大変スタイルがよろしゅうございます。もちろん豪華な衣装です。

 

順路通りに進み本堂と前庭に出ます。
本堂中央の部屋に御本尊の聖観世音菩薩、御所より送られた釈迦如来像が安置されています。その西側の部屋に、享保雛・有職雛・古今雛・立ち雛・市松人形、東側の部屋は奥に几帳が置かれた上段の間を見せ、右側に古今雛やお道具が展示されていました。
本堂には狩野探幽筆と伝わる「秋草図」、また河股幸和画伯が描かれた優しい雰囲気がする襖絵がありました。

 

苔むした庭が本堂の南から東に広がり、桜・松・楓などの樹木、またピンクの椿の花が苔の上に落ちている様がきれいで、可憐な白梅も咲いていました。これは四季折々の景色が大変美しいと想像できます。

 

本堂に沿って北へ進むと阿弥陀堂。中央に光格天皇勅作阿弥陀如来像、左に日野富子像、右に崇賢門院像が安置されています。

 

その後書院に行きますが、途中の坪庭にも桜や椿が植えられていて女性らしさを感じました。
書院の東側に皇女和宮(徳川家茂に降嫁)が幼いころに遊んだ「鶴亀の庭」がありました。築山と岩で亀を、池が鶴を表しているということです。

円山応挙の枝垂桜に雉が描かれた杉戸絵は、雉の色が鮮やかに残っていました。その裏面は子犬が遊ぶ絵で、それがまた可愛いのです〜。
書院の一部屋(だったと思います)に、和宮様所用の葵の御紋がばばーんと入った長持が展示されていました。

 

また、孝明天皇遺愛の御所人形など、貴重な人形が寺内至る所に展示されていました。
 

 

鬼瓦?に菊の紋

「宝鏡寺門跡」の石標側面には「百々御所」と記されています。

 

宝鏡寺
中世京洛に栄えた尼五山第一位の景愛寺の法灯を受け継ぐ尼門跡寺院。
伊勢の二見が浦で漁網により上がられたといわれる聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗の単立寺院で、開山は光厳天皇皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼。その後多くの皇女が歴代となり、百々御所(どどのごしょ)の御所号をもつ。
入寺した尼僧には御所より数多くの人形が贈られたという。孝明天皇ご遺愛の人形なども所蔵し供養をしていることから、人形寺の通称がある。

 

寺院内は一か所を除いた全部が撮影禁止でした。なかなか記憶できない私には辛いのだけど、その分一生懸命心に残そうとするからかえって良いのかもしれない。

鶴亀の庭や円山応挙の杉戸絵の説明はありましたが、本堂の方も説明していただきたかったなと思います。(私が行った時だけたまたま係の方がいらっしゃらなかったのかもしれませんが)。

 

宝鏡寺のHPはこちら

Googleマップ

 

 


京都国際マンガミュージアム。漫画耽読!夢中になってました。

マンガミュージアムに行きたーい!って10年くらい思っていたのですけど、やっと重い腰が上がりました。

 

ここが入り口ね?。足を踏み入れると両側にカフェ!? ほんまにここからでいいんですか?

年齢制限無いよねぇ、オバサンは浮いちゃうかな?と恐る恐る・・。中に入れば私よりも高齢と思われる外国の方がいらっしゃいました!ひと安心ニコニコ

外国の方、多いですねぇ。しかも皆さん熱心なご様子で驚きました。

 

 

マンガミュージアムは旧小学校(龍池小学校)の校舎を活用しています。そのせいでしょうか、ちょっと歩けば床がギシッ!! うわっ! 鴬(ウグイス)張りか!?と驚いたら、そこらじゅうでギシギシいってました。これもレトロ感に一役買っている?唖然 

方向音痴の私にはこのミュージアムは迷路のようでしたが、各階に設置されている検索機?のお陰で何とかなりました。検索機は救世主です。大変お世話になりましたニコニコ

今となっては滅多にお目にかかれない古〜い漫画を読みふけることができて大変満足、800円の入館料(しかも当日に限り再入場可)で1日中楽しめそうです。

それから、トイレはすぐに見つかってオバサンとしてはありがたいですたらーっ

 

京都国際マンガミュージアムHP

Googleマップ

 


廬山寺 源氏庭

紫式部の邸宅址といわれる廬山寺で、美しい桔梗咲く源氏庭を拝観しました。

 

涼しげな青紫、まだまだ見頃ですよ。

 

 

山門です。左手の板に「源氏物語 執筆地 紫式部邸宅址」と書かれています。その隣に「桔梗見頃」の立て看板。良かった!まだ見頃やったんや!と(調べて無いんかい!?)。

 

 

元三大師堂 。山門を入ってすぐ正面にあります。

元三大師(がんざんだいし)・・比叡山延暦寺の中興の祖として知られる、第18代天台座主 良源(諡号は慈恵大師)。中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集め今日に至っている。尚、「おみくじ」の創始者は良源だと言われています。

 

 

決して広くは無いですが、風情のあるお庭です。

 

 

白・緑・青紫。むし暑い京都の夏に爽やかなコントラストです。

 

 

庭園内にある紫式部顕彰碑。昭和40年(1965)に考古学者角田文衛博士によって考証され、新村出博士によって「紫式部邸宅址」と揮毫されました。

 

 

6月末から9月の始め頃まで静かに花開くそうです。

眺めているとたまに苔の上をすずめが降りてきて、その可愛らしさに癒されましたポッ

 

 

受付でいただいたパンフには、平安朝の庭園の「感」を表現した白砂と苔の庭 とありました。

実際紫式部が生活した邸宅はどんなお庭だったのでしょうね。

 

 

敷詰められた白砂に気品漂う紫の桔梗。

 

紫式部は人生の大半をこの地で過ごし、源氏物語の執筆もここで行われたということです。また源氏物語作中の花散里の屋敷もこの辺りであったとろうといわれています。(私のHNは花散里ですから、どうしても気になります。)

本堂の縁側に腰掛け、遠く平安の時代に思いを馳せながら穏やかで静かな時を過ごせました。(ストレートに言うと"ずーっと妄想してました"ですたらーっ

 

 

境内東端に残る豊臣秀吉の築いた御土居の史跡

本堂や源氏庭の東にある墓地内の河原町寄り、かなり鬱蒼とした場所にこの石碑がありました。

 

 

 

慶光天皇廬山寺陵。本堂の北東に位置します。慶光天皇は閑院宮典仁親王(かんいんのみや すけひとしんのう)で、第119代光格天皇の父。歴代天皇の表にはありません。⇒ウィキペディア

 

廬山寺

元三大師良源により天慶元年(938年)に京都の北山に創建。寛元元年(1243年)に法然の弟子である覚瑜が船岡山の南麓に再興、中国の廬山にならい廬山天台講寺と号した。織田信長の比叡山焼き討ちは免れたが、豊臣秀吉の寺町建設により、現在地に移転。度々の火災により、現在の堂宇は寛政6年(1794年)の再建になるものである。

 

本堂には阿弥陀如来と両脇に観音・勢至菩薩の阿弥陀三尊坐像が安置されいます。また廊下には源氏貝合せ、資料室?に源氏物語絵巻などが展示されていました。

 

源氏庭は静かで癒されるお庭でしたニコニコ

 

廬山寺のHPはこちら

Googleマップ

 


「御金(みかね)神社 」金運アップのパワースポット

二条城に近い住宅街を歩いていましたら、その一画がなぜか大勢の人で賑わってます。あら、何かしら?と行ってみました。

金運アップで有名なパワースポット!御金神社(みかねじんじゃ)でした。名前だけは聞いたことがあるけれど、ここにあることも何も実は全然知りませんでした。

 

まず驚いたのが黄金色(というより、ホワイトゴールドに近いかな?)の鳥居です。
もとは木製の鳥居でしたが台風で壊れ、鉄の鳥居が建てられました。そこで創業300年を越える老舗の金箔店が特殊な塗料を使って2006年(平成18年)に金色に施されたのだそうです。

 

 

鳥居の上の額束に金の文字で「御金神社」とあります。
主祭神には、鉱山・鉱物の神として金属全般を司る金山毘古神(かねやまひこのかみ)が祀られています。
通貨に用いられる金・銀・銅にもご利益があることから現在では資産運用・不動産、さらには宝くじの当選などを願って多くの参拝者が訪れるそうです。

 

 

ゴージャスな鳥居に比べると本殿は地味ですね。でも鈴緒(鈴を鳴らす縄)は金色でした。

 

 

これは何だーー!って絵馬です。

社殿の奥にある御神木がイチョウの木であることから、絵馬の形がイチョウの葉なのだそうです。イチョウの葉は末広がりな形で、秋になれば黄金色に色づきますものね。

このすごい数の絵馬のかたまりを見ていると東山にある安井金比羅宮の縁切り縁結び碑(いし)を思い出します。パワースポットと呼ばれるところはこうなっちゃうのか唖然

 

 

屋根瓦に「金」の文字!
屋根瓦だけでなくあらゆるところで「金」の字が目につきました。
こうして見るとほんまにビルの谷間ですね。

 

「御金神社(みかねじんじゃ)」は、もともとは民家の中に祀られていましたが、1883年(明治16年)に社殿を創建、地元では金神様(こんじんさま)と呼ばれ親しまれているそうです。
ご祭神は金山毘古命(かなやまひこのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読神(つくよみのかみ)の三神で、建築・転宅・方位・厄除け・旅行の無事安全などのご神徳もあります。

 

写真は撮りませんでしたが、金運アップのための多種多様なお守りがずらーっと並んでいて、備えられた箱に代金を入れて購入します。おつりはもらえません。たまたまこの時、小銭が少ししか無かったものですから、何も買えませんでした。おつりは要らないよ・・なんて太っ腹なことは私できませんがく〜

お賽銭もね、気前良くお札にしたら良かったかもですが、ほんまに少〜〜しだけさせていただきました。でも、不思議!数時間後にプチご利益と思われることがありましたラッキー

後で知ったのですが、社務所で販売されている福財布はものすごいご利益があるそうです。

 

今回はたまたまこの通りを歩いていて発見した神社でしたので、あらまあ、すごい!という印象でしたけど、この次は目的(何の?)を持って、小銭もいっぱい持って参拝させていただきたいと・・ニコニコ

 

ビルの谷間の小さくてゴージャスな神社でしたニコニコ

 

Googleマップ

 

 

 


桜 京都御苑

京都御苑は環境省が管理する御所の周り東西700メートル・南北1300メートルの広大な緑地です。

約5万本の樹木が生育するといわれ、桜の木は約1100本、山桜や枝垂桜を始め3月下旬から4月下旬にかけて様々な種類の桜を見ることが出来ます。
(2014年4月3日に撮りました。)


御車返しの桜
後水尾天皇が外出されたときに、あまりの美しさに御車を返され観賞されたことから、この名が付けられたとされています。


近衛邸跡の枝垂桜は約30本あり、苑内の見どころのひとつとなっています。白・紅など種類によって咲く時期が違うので、全体としては1ヶ月以上楽しめるそうです。
1本でも桜のトンネルが出来てしまいそう。


繊細な美しさと言われますが、こうなるともう豪快です。桜のシャワーだ。


水面にまで届きそう。(近衛池)


桜の向こうは御所の北側に位置する朔平門。

苑内は手入れが行き届き、ところどころにベンチやテーブルが置かれ、気持ちよくゆったりと散策ができます。南西部にある出水の小川では子供達が水遊びを楽しんでいました。残念ながらテーブル席?に空きはありませんでしたが、この小川のそばで、お花見のお弁当をゆっくり楽しみました・・どうしてもお弁当は食べたい!やっぱり花よりお弁当優先ラッキー

御苑内には皇宮警察の京都護衛署があり、常に見回りをされているようです。

 

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