相国寺 秋の特別拝観 蟠龍が鳴きます。

御所の北に位置する 臨済宗相国寺派の大本山相国寺を拝観しました。

 

法堂

 

 

総門です。左側にちょっこ見えるのは勅使門の屋根です。

今出川通りからここまで、両側は同志社大学のレンガ造りが続きます。京都は至る所に和洋折衷だわ。

勅使門の正面に放生池があり、その次に建仁寺東福寺のような三門が建っていると想像していたのですが、天明8年(1788)の大火で焼失したまま再建されていないそうです。そのせいか、つき当たりの法堂が堂々と見えて更に印象的でした(一番上の画像は法堂の正面)

 

 

その法堂から拝観しました。慶長10年(1605)、豊臣秀頼の寄進により5回目の再建をし、現存する法堂の中では最古のものだそうです。

天井の「蟠龍図」は狩野光信筆。400年以上経っているのに色彩は鮮やかでした。また八方睨みで鳴き龍としても有名です。指定された場所で手をたたかせていただきましたが、パーン!と大きな音ですごく反響しました。

 

 

方丈です。

前庭は白砂を敷き詰めただけの枯山水で「無」を表現。白砂は陽光の反射を利用して室内を明るくし、法堂の姿を立派に浮き立たせる効果があるそうです(法堂の背後に方丈がある)

 

方丈南側の3室は、東から、竹の間・室中・梅の間で、それぞれ襖絵は、竹の間に玉潾和尚筆「竹林図」、室中は原在中による「普陀落山図」、西側の梅の間は相国寺第115世維明和尚によって描かれた躍動感ある「老梅図」です。維明和尚は伊藤若冲に付いてしっかりと画を学んだ方です。廊下西側の杉戸絵は原在中による「白象図」、どっしりとした存在感です。

 

室中には加藤信清による、観音経の文字を連ねて全ての線を描いた「観音菩薩画像」が掲げられていました。部屋の前に拡大された写しが展示されていましたので良〜く見てみましたら、あら、ほんと!江戸時代のAAだわ!

 

 

方丈の西側を回って裏庭園に行きます。

 

 

方丈裏の落縁と庭園です。

西側の部屋には歴代住持専用の立派な御駕籠が置かれていました。部屋の名は琴棋書画の間です(しかし、名前と襖絵はなんとなく覚えているのに、この部屋にあった記憶がどうしてもありません)

真ん中は御所移しの間、御所の清涼殿より拝領した襖絵「吉野山桜図」(伝 土佐光起筆)はとても優しい雰囲気。

東側の聴呼の間は、住職がその日の予定などを告報するために使用する部屋で、襖絵は原在中による「仙人図」です。

 

 

庭園は手前を谷川に見立てて掘り下げ、奥に築山を設け、室内に居ながら深山幽谷の風情が感じられるそうです。

 

 

香積院と称す大きくて立派な庫裏(拝観はありません。)

 

 

次に開山堂を拝観しました。

開山堂は法堂の東にあります。開山夢窓国師の木像を安置している堂で、境内で最も神聖かつ大切な場所です。

応仁の乱で焼失再建の後、天明の大火で焼失。現在の建物は文化4年(1807)、桃園天皇の皇后 恭礼門院の黒御殿を移築し、開山堂に改めたものです。前広縁の三方に落縁をもち、高欄(手摺り)を備え、内部と共に御殿の様式をとどめているそうです。

 

 

前庭(南庭)は室町時代の作庭で、手前が白砂敷きの枯山水、奥はなだらかな苔地築山に奇岩を配し、樹木が植えられています。このような二様の庭が一体となっているのは、禅宗寺院では珍しいということです。二つの形態が見事に調和した美しい前庭でした。

また、白砂の向こうにある水路は龍渕水と呼ばれ、創建当時は境内の水路に通じ、賀茂川の水を御用水として御所に流していたそうです。

 

 

有名な承天閣美術館にも行ってみました。

緑の美しい小径を通り、この正面が承天閣美術館です。

現在は企画展「茶の湯-禅と数寄」を開催しています。恥ずかしいことに私は茶の湯の嗜みなど全くありません。しかしせっかくここまで来たのですから、入館することにしました(常設の若冲の作品見たさに)

鍵付きのロッカーに履物を収納してから入ります。ロビーは(主観的に)ちょっときついお香の薫りがしました。第一展示室から回廊を通って第二展示室に行きます。回廊にはベンチが置かれ、お庭を見ながらほっこりできました。企画展関連のものはもちろん、鹿苑寺の茶室の復元や、若冲の障壁画など、工夫された展示はとても見応えがありました。

 

 

境内で撮った建物です。

鐘楼 洪音楼。袴腰付鐘楼ともいわれ、大型のものでは現在有数のものだそうです。この日の鐘楼は見たとおり・・・(;´・ω・)

 

 

弁天社

 

 

浴室。平成14年に復元修復されました。宣明(せんみょう-浴室の別名)とも呼ばれているそうです。(春期特別拝観で公開されているようです。)

 

 

天響楼(てんきょうろう)。平成22年夏に建立した新しい鐘楼で、中国開封大相国寺により友好の記念として寄進された鐘で、般若心経の経文が刻されています。

 

 

鎮守 八幡宮

 

 

経蔵

 

相国寺

臨済宗相国寺派の大本山。正式名称は萬年山相國承天禅寺。本尊は釈迦如来像。開山は夢窓国師。
足利義満の発願で花の御所と呼ばれた室町第の東に創建された。1392年に伽藍が完成したが、その後は度々焼失と再建を繰り返した。法堂は慶長10年(1605)、豊臣秀頼の寄進により再建したもので、現存最古 最大級の法堂建築。文化4年(1807)恭礼門院(桃園天皇皇后)の黒御殿を下賜され開山堂を再構、方丈・庫裏等も共に再建された。

境内に本山相国寺を始め十三の塔頭寺院があり、山外塔頭として鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、真如寺がある。なお全国に百箇寺の末寺を擁している。

京都五山第二位に列せられる名刹で、文化財も多く、昭和59年(1984)に一山に伝わる美術品を受託し、保存、展示公開などをする承天閣美術館が建設された。

 

世界遺産金閣寺・銀閣寺の京都禅寺界2大スター??を塔頭にする相国寺とはどんな寺院なのだろう?一度は見ておきたいと、この日初めて訪れました。境内全体が厳かで落ち着いた雰囲気、方丈や開山堂も丁寧な説明文を読みながらゆっくり拝観できました。あとひと月もすれば紅葉の庭園を観賞できるのかな。

 

相国寺のHPはこちら。 (関連)慈照寺(銀閣寺)の記事はこちら

Googleマップ

 


本満寺の枝垂桜に感動!

昨年の9月に初めて訪れた本満寺。綺麗に整えられた境内がとても感じ良かったのを覚えてます。また、山門を入って左手のすでに葉だけになった枝垂桜の形と大きさに驚き、あぁこれが有名な!?春になったらぜったいこの桜を見なくっちゃ!と思っていました。

 

壮麗で見事な枝垂桜・・しかし上手く撮れないのねえ(>_<)

 

 

お椀を伏せたような形。とにかく見目が良い枝垂桜です。

 

 

本当に雄大で立派な姿でした。

 

 

この奥の建物は寺務所と書いてありました。時々僧侶さんがこの石畳を歩いて来られます。やはりこの景色にはダウン着たりフード被ったりしてる私たちより、僧侶姿がぴったり合います。

 

 

枝垂桜の下の一部なんですけど、苔の上にも玉砂利の上にも花びらがすごい。

 

 

カメラを向ければ必ず人が入ります(私もその一人)。それでもウィークデイでとっても寒い日でしたから、お花見客は少ない方なのでしょう。

 

 

 

 

山門前の妙見さんの鳥居。この木はお花といっしょに葉も出ていましたから、山桜なのかな?

 

4月2日の写真です。冬に戻ったかのような寒い日も時々パラつく小雨も何のその、素晴らしい枝垂桜に本当に感動しました(^^)/

 

以前の本満寺の記事

Googleマップ

 

 


上御霊神社の紅葉

たまたま烏丸通り近くに行ったので何となく地下鉄に乗ってしまいました。どこで降りようかと思っているうちにもう鞍馬口、とりあえず御霊神社に向かうことにしました。(これは徐々に徘徊という行動になっていくのでは?こうしてあと数年したら家族が私を探し回るのでしょうね。)

 

境内の紅葉は半分ぐらいでしょうか。まだしっかり緑で頑張ってる木もあります。

本殿の裏側(東側)あたりが特にカラフル。

 

 

本殿の北側から神明神社のあたり。

 

 

こちらも本殿の東側。イチョウの絨毯も見事でした。

 

 

福寿稲荷神社も背後の木が紅葉してきてます。数日すれば鳥居に負けないくらい赤くなるのかな?

 

 

 

本殿と拝殿に菊の花、華やかでした。

 

 

境内を歩いている人は少なく、前に来た時もそうでしたがのんびりと散策できました。

それから、御霊神社はつい2か月前に(初めて)訪れたのですけど、今回駅から出たらあれ〜どっちだったかな?と。これはヤバイです。

 

前回の上御霊神社の記事

Googleマップ

 

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2か月前に来た時と同じ道を歩いて帰りましたので、あのときのお寺の紅葉はどんな感じかしら?とちょっとだけのぞいてみました。

 

阿弥陀寺

真っ赤に染まったモミジに目が釘付け!

 

 

本満寺

相変わらず良い雰囲気の境内です。ところどころに咲く山茶花(多分)がピンクの彩を添えていました。

山門脇の堂々とした枝垂桜はもう数えるほどしか葉が付いて無かったけれど、来年はきっと見に来るねと一方的な約束(そりゃそうだ!)をして境内を出ました。

 


本満寺 季節の花木が美しい。

まーだ先月の続きです。

阿弥陀寺からさらに南へ。左手に「本山本満寺」と書かれた石塔を発見。これはもしかして、もしかしなくても枝垂桜などで有名な?とさっそく山門をくぐらせていただきました。

 

山門門前 門の左わきの鳥居は妙見堂。

 

 

妙見堂です。

洛陽十二支妙見めぐりの一つで丑(北北東)にあたり、出町の妙見様として崇められています。

妙見大菩薩(北辰菩薩)とは北斗七星を神格化した菩薩の事で敵を退け災難から人を守り、寿命を延ばす福徳があるそうです。

 

 

山門(西山門)
京都御所から寄贈されたもので重要文化財です。

こちらから入って左側に有名な枝垂桜があるのですが、この時はもう9月ですから(>_<) でも樹形だけでも想像がつく見事なフォルムでした。桜の頃に来るべきですね。

 

 

七面堂
14世・日遠が七面山で千日修行した際に感得したという、法華経を守護する女神七面天女が祀られています。

 

 

本堂

 

 

鐘楼

 

 

酔芙蓉

朝から夜にかけてお酒に酔ったようにだんだんと赤みを帯びてくる酔芙蓉。天寧寺の酔芙蓉も評判でしたが、この日は残念ながら咲いてなかったので、こちらで見られて良かったです。

 

 

ヤブランとタマスダレ

 

 

季節の花木が美しい、良く手入れのされた境内です。

 

本満寺
応永17年[1410年]近衛関白道嗣の嫡子 玉洞妙院日秀が、今出川新町に朝廷より三万坪の敷地を与えられて創建した日蓮宗の本山。天文法華の乱(天文5年[1536年])の後、天文8年[1539年]に関白近衛尚道の外護により現在の地に移り、後奈良天皇の勅願所となる。宝暦元年[1751年]徳川吉宗の病気平癒を祈り、以来幕府の祈願所となった。本尊は十界大曼陀羅。

 

もう先月の事なので、だいぶ記憶が薄くなってきていますから、せめてこの付近の街並だけでも と、ストリートビューで確認してみみましたら、なんと本満寺の境内に入れるじゃないですか。これでは私のヘタな写真は載せる必要なかったです(/_;)(;´Д`)

Googleマップ

 

 


阿弥陀寺 織田信長公本廟所

先月の散歩、未だに続きを書いてます。
鞍馬口通りから寺町を南下していましたら、「織田信長公本廟」の石碑が立つ阿弥陀寺の門が現れました。信長の墓所があることで私でも名前くらいは知っている阿弥陀寺です。あ、ここなんだ!と(勝手に)入らせていただくことにしました。しかし「阿弥陀寺」の名の寺院はすっごい沢山ありますので、この石碑が無ければ気が付かなかったでしょう(名前は知ってても場所は知らなかった(^^;)。

 

山門です。

門の手前左脇に、「織田信長公本廟」の石碑が立っています。

 

 

本堂です。
余り大きくはないけど落ち着いた雰囲気でした。御本尊は阿弥陀如来様。通常は非公開。
信長公と長男信忠の木造が安置され、毎年6月2日に行われる「信長忌」の時に公開されます。信長の像や肖像画の中では一番本人に似ているそうです。

 

 

本堂にかかる山号「蓮台山」の扁額。

 

 

庫裏です。
チャイルドシート付きの自転車が置いてあるところに、親しみが持てます(*^^*)

 

 

織田信長公本廟所

すごく豪華なお墓をイメージしていましたから、意外に地味なんだなぁって、そんな印象でした。でも、こちらで大切にお供養されているのですね。(墓地に一人でいるのが怖くて、早々に退散してしまいました。それほど誰もいなかったのです。もっとしっかりお参りさせていただけば良かったと反省。)

 

 

本廟所の案内板。

渡り廊下の下を通って墓地に出ます。この案内板が無ければ、30分はウロウロしていたことでしょう。

 

 

鐘楼です。

 

 

鎮守社です。

 

 

せっかくだから境内にこんもりと茂っていたススキも(何がせっかく?)

 

阿弥陀寺
天文24年(1555年)近江国坂本に玉誉清玉が創建したのが始まりとされる浄土宗の寺院。後に織田信長の帰依を得て、今出川大宮に移転した。
天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が討たれた際、清玉上人自ら現地に赴き信長の遺灰を持ち帰り、その後長男信忠の遺骨も二条御新造より拾い集めて埋葬したという。また、信長の家臣や本能寺の変の犠牲者大勢も葬り供養したとされる。
天正13年(1585)豊臣秀吉の都市計画によって現在地に移った。

 

5年前に拝観した大雲院にも織田信長・信忠の慰霊碑があることを思い出しました。正親町天皇の勅命により信長親子の菩提を弔うため、御池御所(烏丸二条南)に貞安上人が開山したということでした。
供養塔や慰霊碑が建つところは京都だけでもまだ数カ所あります。戦国武将ランキングで常に上位にいらっしゃる方ですから全国にはもっともっとあるのでしょうね。

それにしても本能寺も阿弥陀寺も大雲院も今は当時の場所に無いのですよね。秀吉さんの都市計画で。

 

Googleマップ

 


御霊神社 怨霊鎮魂の神社で、応仁の乱勃発の地。

先日のつづき・・って随分経っちゃってますけど。寺町を南下していましたら「御霊神社」を示す碑がありました。しかも上部に時計が埋め込まれていて、時間も教えて下さる大変親切な石碑です。御霊神社といえば応仁の乱が始まったという?・・この近くなんだ!(何十年京都に住んでるんや)とお参りさせていただきました。

 

西側正面の鳥居です。最初は南側の楼門を通りましたけど、やっぱり鳥居のある正面から入らないとね・・とこちら側に回りました。鳥居には菊の御紋が付いています。

鳥居の左側の足元に花御所八幡宮、鳥居右側数メートルのところに応仁の乱勃発地の石碑がありました。

 

応仁の乱勃発の地
かつては御霊の森と呼ばれ、広大な土地に樹木が鬱蒼と生い茂ったこの地で、文正二年(1467)畠山政長と家督を争っていた義就の合戦が起こったことが応仁の乱の始まり(その年3月に年号が応仁と改まりました)。初めは小規模だったものが細川氏・山名氏の勢力争いに発展し、将軍家の後継争いも加わって、10年以上にも及ぶグダグダな戦いを続け、京都の大半を焦土にしたっていうやつです。
ご当地ネタで京都で先の大戦と言えば応仁の乱って言うあれですね。私が今まで拝観したお寺さんなどの歴史を見ると、大抵どこかに応仁の乱により焼失というフレーズありました。

 

 

鳥居の後ろに狛犬さんと立派な楼門。楼門の左右には随身像が置かれてます。

 

 

拝殿には賽銭箱の両脇と東側本殿の正面にお花が生けられていました。拝観者はほとんどなく、ひっそりとした境内でしたが、ここだけは華やかです。

 

 

本殿は、享保18年(1733)に寄進された内裏賢所御殿の遺構を昭和45年に復元したものです。

 

御霊神社の起こり

長岡京造営を進めていた桓武天皇の信頼厚い藤原種継が暗殺され、天皇の実弟である早良親王が罪に問われました。親王は無実を訴えるため一切の食を拒み、淡路島へ護送される途中無念のうちに亡くなったと伝えられています。
親王の死後桓武天皇の身内が次々と亡くなり、また疫病の流行などが相次いで起こります。親王の祟りと恐れた桓武天皇が、平安遷都の際に都の守り神として相良親王を祀ったことが始まりで、本殿には政争により非業の死を遂げた八柱の神霊が祀られたといわれています。

 

無実の罪を着せておいて、神様にするから祟らないでねって。それで都を守って下さっているとは、なんと寛容なお心でしょう。(定価で買ったものがセールになってるのを見てムカッ!とくるくらい心が狭い私には出来ないことです。)

ところで、このところ続いている天災も祟りじゃ無いですよね?今日も台風来てるし。もう来ないでね。

 

 

福寿稲荷神社[境内社]は江戸時代中期以前より、祀られていたそうです(初めは本殿南側にあった)

五穀豊穣・福徳円満・長寿延命・生業繁栄の御神徳があります。

 

 

神明神社[境内社]。本殿の後ろあたりです。

 

実はこの辺から3秒もカメラを構えていられなくなりました。私他人には好かれませんが、蚊の皆さんには良い人だと思われてるらしく、おおきに〜と大挙して群がってきます。(敵!と認識されているのでは?と思わなくも無いけど。)

 

 

厳島神社[境内社]

 

 

花御所八幡宮[境内社]

西側の大きな鳥居の下にある石碑の花御所八幡宮はここを示しているのでしょうか。

この地より南西約1劼里箸海蹐紡利将軍家が造営した花の御所があり、その鎮守として源氏の氏神である八幡神が勧請されたそうです。本来の場所は御所八幡町(烏丸上立売下る)と考えられています。尚、足利尊氏が邸内に勧請した御所八幡宮とは別のものだそうです。

 

 

南門は四脚門ですね。真正面に見える拝殿は西側の楼門からも一直線です。

右の御霊神社と刻まれた石碑にも時計が付いていました。何ゆえ?

 

京都で最古のお祭り

毎年5月1日から18日に行われる御霊祭は、千年以上も続く歴史あるお祭りです。最も盛り上がりを見せる18日の還幸祭では、剣鉾・3基の神輿、八乙女・稚児・若武者・牛車などが氏子地域を練り歩きます。

 

5月上旬頃に咲き乱れる紫のイチハツ(アヤメ科)や、秋には黄色い銀杏の絨毯と紅葉のコントラストも大変美しいそうです。また混みあうことも無いらしいですから、そのシーズンにも行ってみたいなと思います。

 

あ、そうや!季節によっては虫よけは必需品でしょう。

 

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天寧寺 額縁門から望む景色もお庭も素敵でした。

久しぶりの良いお天気でしたので、鞍馬口通りから寺町辺りの寺社を訪れるMy散歩をしました(9/19)

 

鞍馬口通りから寺町を南下すると左手に見えてくる天寧寺

額縁門」と呼ばれる山門から望む景色が有名な曹洞宗の寺院です。

 

 

本当に額縁に入れたように比叡山が収まってます。まるで絵画のようですね。

 

 

庫裏です。

手前に酔芙蓉の木がありましたが、まだ蕾の状態でした。

 

 

表門・本堂

江戸時代後期の伽藍の形態をよく伝え、市内においては数少ない曹洞宗の近世寺院建築として貴重であるということです。
塀の後ろ本堂脇に見える巨木は市内有数のカヤの大木で、京都市登録天然記念物とされています。

 

 

観音堂
後水尾天皇の念持仏の聖観音像と中宮東福門院の念持仏 薬師如来像が安置されています。

 

 

まんじいなり

 

 

わらべじぞう
ジュースのお供えがたくさん。

 

 

門をくぐってから撮りました。普通街中のお寺は山門から入ると正面に本堂があったりするのですけど、天寧寺は比叡山借景を遮らないようにするためか本堂や書院は左手にあります。

 

 

これは紫式部?小紫?ツヤツヤの綺麗な実を付けていました。

 

 

シュウメイギクはこれからかな?咲いているのはまだ2,3輪というところ。

 

 

ヤブランは今が盛りのようです。

その他にもススキの穂や、白萩の花もチラホラと。酔芙蓉は咲いていなくて残念でしたけど、随分と色々な種類の植物が植えられているのでしょう。綺麗に整えられたお庭は四季折々の花が楽しめるのですね。

 

天寧寺

山号は萬松山(ばんしょうざん)と号し曹洞宗に属する。

もと会津城下にあったが、天正年間(1573-1592)にこの地に移送されたと伝えられている。その後天明の大火により堂宇を焼失したが、本堂は文化9年(1812)に、書院は天保14年(1842)に再建された。本堂には仏師春日作と伝える本尊釈迦如来像を、観音堂には後水尾天皇の念持仏聖観音像及び東福門院の念持仏薬師如来像を安置している。境内墓地には江戸時代の茶人として有名な金森宗和、剣道示現流の開祖といわれる善吉和尚らの墓がある。

山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額縁に入れたように見えるところから、山門は「額縁門」と呼ばれて親しまれている。

(駒札より)

 

非公開ですが、境内は拝観できます。いいお寺でしたよ(^^)/

 

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神泉苑は Shinsenen Temple だったのですね。

東山ばかりでなく たまには少し離れた所も散歩しようと、1週間ほど前になりますが 二条城の南に位置する神泉苑に行ってみました。

 

苑内の広大な法成就池

新緑の中、龍の頭をした船が見えて、あら素敵!竜頭鷁首?(りょうとうげきしゅ--平安時代の貴族が池や泉水に浮かべ、管弦の遊びなどに用いた)と思ったけど、良く見たら屋形船でしたたらーっ 苑内にある料亭平八さんの船のようです。

 

 

善女龍王社 中央の島に祀られています。

日照りが続く天長元年(824)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が天竺の無熱池から善女竜王様を勧請して見事雨を降らせたそうです。

本殿、拝所、中門、拝殿に構成され、棟札によると文化10年(1813)に改築、そして200年を経た平成25年から2年にわたり大規模な修復工事が行われました。

 

 

恵方社

とても小さいですが、日本で唯一のお社で、その年の福徳を司る歳徳神(としとくじん)がお祀りされています。

毎年大晦日の晩に、翌年の恵方に合わせてお社の向きが変えられます。お社の正面からお参りすればその年の恵方に向かってお参りできるのだそうです。(恵方巻を食べるときに向く方角ですよね?)

 

 

法成就池に架かる赤い橋、法成橋(ほうじょうはし)です。

橋の西側の立て札に 心に願いを念じながら渡り、その願いを橋の向こうにある善女龍王様にお願いすると叶うと言われています。(願いはただ一つ) と書かれていました。

眺めていると、にわかに若い女性たちが現れて橋の上で撮影会。あまり人のいない庭園が一気に華やか、賑やか!大したパワーです。彼女たちは何もお願いする事が無いように幸せそうでしたニコニコ そういう私も願い事を忘れてた大変幸せなオバチャンですたらーっ

 

 

増運弁財天(弁天堂)

屋根瓦には眷属としてナマズがついています。画像左下に拡大して付けておきました。

 

 

矢劔大明神(鎮守稲荷社)

参拝者の身体を守護されるそうです。

 

 

庭園東側の鎮守稲荷社の方から、西に向かって撮りました。

街中で庭園を撮るとだいたい背後にビルが映ってしまう。まぁ、それも今の京都の風情です。

 

 

苑内至る所にピンクのサツキ!鮮やかですねぇ。

 

 

神泉苑の本堂

弘化4年(1847)、東寺の大元帥堂としてあったものを移築したそうです。

ご本尊 聖観世音菩薩立像、不動明王坐像、弘法大師像が安置されています。

鳥居をくぐって入りましたし、神様を祀ったお社たくさんあって、何と言っても名前は「神泉苑」。お寺だとはなかなか思えませんが。

そうそう、寺務所で購入した冊子の表紙には「平安京最古の史跡 東寺真言宗 神泉苑 SHINSENEN TEMPLE」とありました。(寺務所という時点でお寺ひやひや)

 

 

法成橋から入り口の鳥居を撮りました。

 

 

池辺でくつろぐアヒルさんたち。何とも言えない素敵なお尻です。

謡曲「鷺」で、醍醐天皇から五位の位を賜った鷺の由来が神泉苑にあるそうですが、このアヒルさんたちにも官位をあげてください。

 

神泉苑

延暦13年(794)桓武天皇が平安京の造営にあたり、大内裏の南の沼沢を開いて設けられた禁苑。広大な苑内には大池と中嶋のほか、乾臨閣や、釣殿、滝殿などもあり、歴代の天皇や貴族が舟遊び、花見、詩や歌、弓射、相撲などを楽しんだと言われている。また貞観5年(863)には御霊会が行われ、祇園祭の起源となった。源義経と静御前の出会いの地という伝承もある。

現在は東寺真言宗の寺院。

 

規模は大分縮小されたとは言え、平安遷都の時から、つまり1200年以上もずーっとここにあるのですね。人も少なく、無料でゆっくり散策できました。無料が大好きな私が今まで行ったことがなかったなんてひやひや

 

神泉苑のHPはこちら

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人形の寺 宝鏡寺 (お庭も美しいです)

前の記事が昨年の11月だったとは。ずいぶん長い間冬眠していました。

1週間ほど前に春の人形展が開催されている尼門跡寺院「宝鏡寺」に行って参りました。

元々良くない記憶力なのに、1週間も経つとそれが更に曖昧に・・。すぐに書かなければダメですね(それでもあまり覚えてないけどひやひや)。

大門
天明8年(1788)の大火で宝鏡寺も類焼しましたが、大門・書院・本堂・阿弥陀堂・玄関・使者の間が復興され、現在京都市指定有形文化財に指定されています。

 

 

受付で拝観料(600円)を納め、順路を行くと間もなく現れるのがこちらの「使者の間」。唯一撮影OKの場所でしたから、十二単をお召しになったマネキンさん?を撮らせていただきました。小顔で大変スタイルがよろしゅうございます。もちろん豪華な衣装です。

 

順路通りに進み本堂と前庭に出ます。
本堂中央の部屋に御本尊の聖観世音菩薩、御所より送られた釈迦如来像が安置されています。その西側の部屋に、享保雛・有職雛・古今雛・立ち雛・市松人形、東側の部屋は奥に几帳が置かれた上段の間を見せ、右側に古今雛やお道具が展示されていました。
本堂には狩野探幽筆と伝わる「秋草図」、また河股幸和画伯が描かれた優しい雰囲気がする襖絵がありました。

 

苔むした庭が本堂の南から東に広がり、桜・松・楓などの樹木、またピンクの椿の花が苔の上に落ちている様がきれいで、可憐な白梅も咲いていました。これは四季折々の景色が大変美しいと想像できます。

 

本堂に沿って北へ進むと阿弥陀堂。中央に光格天皇勅作阿弥陀如来像、左に日野富子像、右に崇賢門院像が安置されています。

 

その後書院に行きますが、途中の坪庭にも桜や椿が植えられていて女性らしさを感じました。
書院の東側に皇女和宮(徳川家茂に降嫁)が幼いころに遊んだ「鶴亀の庭」がありました。築山と岩で亀を、池が鶴を表しているということです。

円山応挙の枝垂桜に雉が描かれた杉戸絵は、雉の色が鮮やかに残っていました。その裏面は子犬が遊ぶ絵で、それがまた可愛いのです〜。
書院の一部屋(だったと思います)に、和宮様所用の葵の御紋がばばーんと入った長持が展示されていました。

 

また、孝明天皇遺愛の御所人形など、貴重な人形が寺内至る所に展示されていました。
 

 

鬼瓦?に菊の紋

「宝鏡寺門跡」の石標側面には「百々御所」と記されています。

 

宝鏡寺
中世京洛に栄えた尼五山第一位の景愛寺の法灯を受け継ぐ尼門跡寺院。
伊勢の二見が浦で漁網により上がられたといわれる聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗の単立寺院で、開山は光厳天皇皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼。その後多くの皇女が歴代となり、百々御所(どどのごしょ)の御所号をもつ。
入寺した尼僧には御所より数多くの人形が贈られたという。孝明天皇ご遺愛の人形なども所蔵し供養をしていることから、人形寺の通称がある。

 

寺院内は一か所を除いた全部が撮影禁止でした。なかなか記憶できない私には辛いのだけど、その分一生懸命心に残そうとするからかえって良いのかもしれない。

鶴亀の庭や円山応挙の杉戸絵の説明はありましたが、本堂の方も説明していただきたかったなと思います。(私が行った時だけたまたま係の方がいらっしゃらなかったのかもしれませんが)。

 

宝鏡寺のHPはこちら

Googleマップ

 

 


京都国際マンガミュージアム。漫画耽読!夢中になってました。

マンガミュージアムに行きたーい!って10年くらい思っていたのですけど、やっと重い腰が上がりました。

 

ここが入り口ね?。足を踏み入れると両側にカフェ!? ほんまにここからでいいんですか?

年齢制限無いよねぇ、オバサンは浮いちゃうかな?と恐る恐る・・。中に入れば私よりも高齢と思われる外国の方がいらっしゃいました!ひと安心ニコニコ

外国の方、多いですねぇ。しかも皆さん熱心なご様子で驚きました。

 

 

マンガミュージアムは旧小学校(龍池小学校)の校舎を活用しています。そのせいでしょうか、ちょっと歩けば床がギシッ!! うわっ! 鴬(ウグイス)張りか!?と驚いたら、そこらじゅうでギシギシいってました。これもレトロ感に一役買っている?唖然 

方向音痴の私にはこのミュージアムは迷路のようでしたが、各階に設置されている検索機?のお陰で何とかなりました。検索機は救世主です。大変お世話になりましたニコニコ

今となっては滅多にお目にかかれない古〜い漫画を読みふけることができて大変満足、800円の入館料(しかも当日に限り再入場可)で1日中楽しめそうです。

それから、トイレはすぐに見つかってオバサンとしてはありがたいですたらーっ

 

京都国際マンガミュージアムHP

Googleマップ

 



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