雲龍院 紅葉

ちょこっと紅葉見物の時間が出来ました。「波心庭」の光明院か、「しきしの景色」の雲龍院かと迷って、雲龍院に。近いから両方行けばいいのですけどね、体力が無いのです〜。

 

龍華殿の広縁から。前回8月の拝観では青々としていた木々、今はすっかり秋の色。

 

 

大輪の間から。

 

 

こちらも大輪の間から。青い空と橙色の紅葉。

 

 

れんげの間、「しきしの景色」。

前回と同じように撮っています。左から「椿」「灯篭」「」「」。

白い「椿」が咲いていました。「楓」はすでに散っていたようです。残念がく〜

 

 

左の端に椿灯篭がちょっと隠れちゃったけど、椿の後方の既に散ってしまったと右側の。この景色がれんげの間の雪見障子から見えているのでしょう。

 

 

悟りの間に行く廊下の突き当たりに生けられたお花。かっこいいです。

 

 

悟りの間。「迷いの窓」。

 

 

悟りの間。「悟りの窓」。

 

 

悟りの間から見える五色のもみじ。ちょっと散り始めていました。もう少し早く来れれば、綺麗なグラデーションが見られたのに泣き顔

 

 

お庭を眺めながら、お抹茶とお菓子をいただきました。泉涌寺別院として、皇室と関係の深い寺院ですからお菓子皿にも菊の紋。この御菓子は「皇月」というそうです。餡がわらび餅に包まれて、上品で大変美味しいものでした。

 

雲龍院もすでに「穴場という有名スポット?」ですから、すごく混んでいるのではと思いましたが、昼間だったせいか混雑することもありませんでした。さすがに夏に訪れた時より人は多いですけど、ゆっくり拝観できましたニコニコ

 

雲龍院について少〜し説明を書いた前回の記事はこちら

 

Google map

 

 


雲龍院 障子越しに望むお庭はすばらしいです。

一昨年泉涌寺を拝観した後に、疲れた!もうダメだぁとパスしてしまった「雲龍院」を今回やっと拝観しました。

 

泉涌寺参道。一時暑さを忘れさせてくれる涼しい木陰です〜。街中を歩くよりは確かに涼しいですけど、立ち止まると汗がダラ〜〜がく〜何で汗は止ると吹き出してくるんでしょうね。

 

 

泉涌寺の駐車場まで来ると「雲龍院」の大きな看板があって、おぉ もう着いた!とぬか喜び。少し進んで、あらまだかしら?と思ったところで、この控えめな道案内板。そこからまだ少し登りました。確か泉涌寺境内からも続いていたと思いますが、今回は泉涌寺には行かなかったので。何やらこの辺から蝉の合唱がボリュームアップしました。

 

 

やっと着きました!山門と勅使門が並んで建っています。

こちらは勅使門で皇族専用です。拝観時にいただいた雲龍院の「へえ〜」ポイントという見どころが紹介された楽しい参考資料によると、近年では常陸宮妃華子殿下がお使いになったそうです。

 

 

こちらが山門で勅使門の手前にあります。

この門をくぐって、よく手入れのされた境内を歩いていると途中に「衆宝観音」という、ふくよかでリラックスされたお姿の観音様像がありました。

受付で拝観料400円を納め、雲龍院のパンフレットと先ほどの「へえ〜ポイント」をいただきます。以下この記事の説明はだいたいこのパンフレットとへえ〜ポイントによるものです。

 

 

本堂の「龍華殿」(重文)です。
さわら材を竹の釘で打った雄大なこけら葺きで、今では大変貴重なものとなっているそうです。(縁からの拝観ですので全体像は見えません。)
堂内には鎌倉時代作の御本尊薬師如来坐像を中心にして、両脇に日光・月光両菩薩が祀られています。

南北朝時代、後円融天皇から写経の功徳をご信奉されて以来写経道場として信仰を集め、江戸時代初期の後水尾天皇より御寄進された写経机が現在も使用されています。また扁額は後水尾天皇の皇女光子(テルコ)内親王の筆だそうです。

 


「龍華殿」の広縁から南西(多分)の方へ向けて撮りました。
手前の木は高野槇、秋篠宮家の若宮 悠仁様のお印の木だそうです。
 

 

「霊明殿」

皇族の御位牌堂のことで、内陣の中央には、北朝の後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇の御尊牌そして左側には後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇、右側には東福門院・普明照院といった江戸時代の皇子・皇女の尊牌が奉安されています。

 

 

徳川慶喜が寄進した灯籠。元々孝明天皇陵にあり、幕末の混乱で薩摩藩が放り投げたものを二条家の血筋であったご住職がこっそりと取りに行かせて、この場所に置いたらしいとのことです。下の砂紋は菊の形、皇室の十六菊紋です。

 

 

大輪の間
書院の中で一番広いお部屋です。外を眺めるとお庭も広いですー。右手には紫の桔梗が咲いてそれがまた爽やかでした。大きな部屋で風通しもよかったせいか、むし暑さが嘘のようでついほっこりしてしまいましたニコニコ
また、この部屋には大石内蔵助の「龍淵」の書が展示されています。

 

 

左の写真、椅子の前に置かれた石は瞑想石。そばに説明が書かれていました。椅子に腰掛けて足元の瞑想石に左右の土踏まずを乗せて、口からゆっくりと息を吐いて・・・瞑想石に気を集中させて・・・と呼吸法・瞑想法でしょうか。ちょっとやってみました。疲れた足の土踏まずをこの石が押してくれてそれだけで気持ちいい!他の方がお見えになりましたのでそこで止めました。(それだけでは瞑想じゃなくてただの疲労回復です困惑

右の写真は廊下など至る所に設置されていた、面白い形でなんだか可愛い行灯です。

また院内随所に生けられているお花も、素適でした。

 

 

れんげの間「しきしの景色」
報道ステーションのお天気お姉さん推奨「しきしの景色」として「この座布団に座ってご覧になって下さい。」とありましたので、早速そこから撮らせていただきました。
左から「椿」「灯篭」「楓」「松」。(角度を変えれば当然景色も変わりますが)庭園がまるで4枚の絵のように見えます。
隠す・切り取る。全部を見せないことで、いっそう趣深いものになるんですね。(だから開けっ広げの私は情趣の無い奴なんて言われちゃうのかひやひや
また、このお部屋に「きびしい暑さでございます。冷たいお茶をどうぞ一服。」と書かれて、麦茶も用意されていました。お心遣いにほんまに恐縮してしまいます。

 


悟りの間
同じ壁面に四角の「迷いの窓」と、丸い「悟りの窓」があります。

四角い「迷いの窓」は人生における苦しみを象徴し、「生老病死四苦八苦」を表しているといわれています。
この窓の下には般若心経が記された碑が置かれていました。

 

 

正確な真円を描いている「悟りの窓」は禅における悟りの境地を表し、春には紅梅やハナカイドウを望むことができるそうです。

泉涌寺は元々律を基本に天台・真言・禅・浄土宗を併せ持つ兼学の道場でした。故にあちらこちらで禅宗の建築様式が見られます。と廊下に置かれた説明板にありました。

 

 

少し分かりにくいですが、障子の向こうに五色の紅葉があります。紅葉シーズンの終盤に色づくグラデーションが美しい1本だそうです。(この時は青々としていました。)障子の開け具合がまた絶妙なんですよ。
 

 

走り大黒天」。(パンフレットの写真です)
鎌倉時代の作で、台所に安置されています。
大黒様と言えばにこにこしたイメージなんですけどね、こちらの大国様は手足はぽっこりとしていますが、お顔はちょっとリアルで厳しい表情、そして左足を一歩踏み出しています。家の方にまで幸福を持って来て下さるそうですよ。(ちょっと調べてみましたら、鎌倉期までは大黒天は憤怒相だったようです。)

 

雲龍院
真言宗泉涌寺派 別格本山(泉涌寺別院) 山号は瑠璃山、本尊は薬師如来。
南北朝時代、北朝の後光厳院の勅願により、竹巌聖皐(しょうこう)を開山として応安5年(1372年)に創建された。皇子・後円融院はここに如法写経の儀を興そうと寺領を寄せられ、また後小松天皇、称光天皇など皇室の帰依を受けて発展したとされています。

 

受付で案内パンフとともに「へぇ〜ポイント」を下さったり、至る所に説明板がありましたので、充実した拝観ができたと思います。また冷たいお茶も用意されて、帰り際にも「暑いですからお気をつけて」と声をかけていただき、拝観者にとても優しいお寺でした。

紅葉の季節が一番かと思いますが、それに限らずまた何度でも訪れたいお寺の一つになりました。ニコニコ

 

雲龍院のHPはこちら

Google map

 


またお邪魔しちゃいました。光明院「波心庭」。

少しずつしている京都観光なので、行った場所はまだ僅か。それでも一度見たからもういいわと思う所と、何度でも訪れたいと思う所があります。光明院の波心庭はもちろん後者で、頑張って歩けば我が家から徒歩圏内ということもあって、ついつい足が向いてしまいます。


書院の網代が張られた吉野窓から。


茶室から。


紅葉にはまだ早いな。


茶室の縁側に座って、小滝から落ちる水音と鳥の声を聴きながら、ボーッとお庭を眺めるのが好きです。

観光シーズンは分かりませんが、普段は人の話し声も物音もしない、聞こえて来るのは自然の音だけ、心地よい静けさに包まれています。だからここへ来るとリフレッシュされた気持ちになるのかな。
いつだったか賑やかに入って来られたお嬢様方がその5分後には黙って静かにお庭を眺めていました。これも「波心の庭」の力?

今年も紅葉のシーズンには忙しくて来れそうもない、おばあちゃんになった時の楽しみにしておきましょう。

Google map

「波心庭」の記事はこちらこちらにも。

-----------------------------------------------------------------------------------------------



光明院に行くときいつも通る、東福寺の臥雲橋。この橋、自転車もバイクも押して歩けば通れるんですね。


臥雲橋から通天橋。
そろそろ木々が色付いて、あとひと月もすれば燃えるような赤。

 


深い緑の中に佇む 御寺(みてら)泉涌寺

徒歩で行ける涼しそうなところはないかな?そうだ泉涌寺に行って見よう。あまり人はいないし、ゆっくりできるかもっと8月の終わりに久しぶりに泉涌寺に行ってみました。


東大路をずーっと南下して東福寺より少し手前の泉涌寺道を東にしばらく上ると総門があります。この門をくぐるといきなり涼しそうな雰囲気に変わります。



総門を通ってずーっと参道が続きます。涼しい木陰を作ってくれるのは鬱蒼と茂る木々。参道の左右にはいくつかの塔頭寺院がありますので時々寄り道しながら登りました。しかしこの季節涼しいのは雰囲気だけ、延々と続く上り坂を歩けばやっぱり暑い、汗だくです。



長い参道を登りきって左側にある大門です。入って右側に拝観受付、ここで拝観料を払います。



大門を入って左手奥にある楊貴妃観音堂です。唐の玄宗皇帝は亡き楊貴妃を偲んで聖観音菩薩像を彫らせたとの伝承があり、寛喜2年(1230)に湛海律師によって請来されたそうです。堂内は少し暗く私は目が悪いのであまりよく見えませんでした。後でどんなんやったかな〜?って泉涌寺のHPで拝見すると、東洋的なかなりのべっぴんさんですが、ヒゲらしきものがあるのです。ヒゲじゃないかも知れないけどヒゲに見える。まさか楊貴妃さんて・・・う〜気になって今晩は眠れない。
美人祈願や良縁祈願のお守りが並んでいました。お守りの傍に200円を置いて、いただいていくシステムでした。200円で美人にしてくれはるのよ。
以前は秘仏とされ、昭和30年までは100年に一度しか開帳されていなかったそうです。
撮影禁止なのがつくづく残念です〜。こちら泉涌寺さんのHPからご覧になれます。



大門から続く坂の下、両脇の樹木の間から見える仏殿。伽藍が坂の下にあるというだけで不思議な感じがします。
仏殿は一重もこし付入母屋造りというそうです。内部は天井に向けてドームのようになった造りでした。その一番上の鏡天井には狩野探幽筆の蟠龍が、裏堂壁にも探幽筆の白衣観音像が描かれています。内陣には運慶の作と伝える阿弥陀・釈迦・弥勒の三世仏が安置され、過去・現在・未来の三世に渡り人類の安泰と幸福を守り、永遠の平和を願う人々の信仰を集めているそうです。また、毎年3月に公開される日本最大の涅槃図はあまりの大きさに展示するときはコの字型になると説明が書かれていました。
応仁の乱によって創建当初の伽藍はほとんど焼失し、寛文8年(1668)徳川四代将軍家綱によって再建されました。現在の伽藍の多くはこの時に整備されたそうです。
仏殿といえば涼しいものかと思いましたが、堂内はかなり蒸し暑かった。
この奥に並んで舎利殿がありました。舎利殿とは入滅したお釈迦様の遺骨(仏舎利)を安置する建物で、この舎利殿には仏牙舎利(お釈迦様の歯)が納められているそうです。内部には入れませんでしたが、少々痛んでいるな思える外観でした。



霊明殿です。現在の霊明殿は明治17年に明治天皇により再建されたもので、今年25年ぶりに開門され門外からですが、参拝が可能になったそうです。


はい、門外から撮らせていただきました。門には重厚な菊の御紋。建物は神殿風です。天智天皇以来の歴代天皇の御尊牌が奉祀されているそうです。



境内の一角にひっそりとたたずむ水屋形です。泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形で、名泉は今も尽きることなく湧き出ているそうです。仏殿と同じ寛文8年(1668)に再建されました。こちらの内部も蟠龍図(別所如閑筆)のある鏡天井となっているそうですが見ることはできません。



帰り道で発見しました。参道のところどころにキノコありきのこオレンジ

東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ真言宗泉涌寺派の総本山泉涌寺。皇室の香華院(菩提寺)であることから「御寺(みてら)」とも呼ばれています。
天長(824〜833)年間に弘法大師がこの地に庵を結んだことに由来し、当初は法輪寺、一時は仙遊寺と称されました。承久元年(1219)に月の輪大師俊芿がこの地に宋の法式を取り入れた大伽藍を営むことを志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍が完成しました。このとき寺地の一角より清泉が湧き出ていたことから寺号を泉涌寺と改めました。律を基本に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺として大いに隆盛させ、時の皇室からも深く帰依せられました。霊明殿の東に鎮まる陵墓は月輪陵(つきのわみさぎ)と呼ばれ、四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれています。また月輪陵の背後の山腹には孝明天皇の後月輪東山陵が築かれています。

若いときは自転車で上っていたこの参道、あれからン10年?体重と体脂肪は恐ろしく増えたけど体力は激減、参道でちょこちょこ寄り道をしていたこともあって、辿り着くまでに疲れてしまって時間もオーバー。御座所などの特別拝観区域は残念ながらパスしてしまいました。ちょっともったいなかったかな。後でとなるとまた大門のところで500円+特別拝観に300円の計800円。うーん、最初の500円は負けてよひやひや

泉涌寺のホームページはこちら
 

「光明院」波心庭もう一度。

先日「天得院」と「霊雲院」を拝観したときに、もうそろそろ苔は緑になったかしらと再び「光明院」の波心庭を訪れました。(7月2日に撮影したものです。)


山門をくぐってすぐに目に飛び込んできた桔梗の花。紫が綺麗!


塵ひとつ無い室内で、こちらでも一厘の桔梗が凜と迎えてくれました。(5月に来たときは芍薬でした。)


波心庭にこの1株だけが、植えられていました。このお庭ではこれだけで充分ですよと言わんばかりの存在感。「天得院」さんの群生した桔梗に心を和ませましたが、同じ桔梗でも周りの景色によってこんなにも感じ方が違うのですね。


網代窓の外から中です。普通は内から外の景色を撮りますよね。でもこっちから見てもなかなか面白いです。(覗き見?)たらーっ


苔の色は所々が緑色。
拝観者は私たち以外に一人もいませんでした。ほんとに誰もいないのです。お寺の方の姿も見かけません(TVの音が何処かから聞こえていましたが)。
静寂、静謐、整然、etc、etc・・これこそ禅寺? そうして帰りにはいつも家を掃除しなくちゃって・・・・・思うだけでぜんぜんしてません。

「波心庭」の記事はこちらこちらにも。

 

九山八海の庭 霊雲院(東福寺塔頭)

霊雲院は東福寺西側の少し奥まったところのありますので、途中に案内の看板がなければ通り過ごしてしまいそうです。そのためでしょうか、訪れる方は少なくゆっくりと拝観できます。


5月に「芬陀院」と「光明院」を訪れたときにこちらも拝観したかったのですが、その時は残念ながら工事中で山門は閉まっていました。今回はどうかしらと行ってみると、開いてて良かったラッキー やっと拝観できます。


受付を通ってすぐに見える庭園の東端。


整然とした書院と前庭。
拝観を終えて出てこられた外国の方と入り口ですれ違った以外は人影がなく、時間が止ったような静けさを独り占めです。ご本尊の文殊菩薩様にご挨拶をしてゆっくり見学させていただきました。


中央に「遺愛石」を置いた書院前庭は「九山八海」(霊の庭)と呼ばれる枯山水庭園です。寛永年間(1624ー1644)に第7世の湘雪守げんが住職されるとき、親交のあった熊本藩主細川忠利はその子光尚が湘雪和尚に帰依していたため、寺産500石を贈ろうとしました。しかし和尚は「出家の後、禄の貴きは参禅の邪気なり。庭上の貴石を賜らば寺宝とすべし」と申されました。そこで細川家は「遺愛石」と銘をつけ、須弥台と石船を作って霊雲院に贈られたという事です。


書院前庭は「遺愛石」のある珍しい庭として、江戸時代中頃に出版された「都林泉名勝図会」に紹介されていましたが、300年の歳月は庭園をすっかり荒廃させてしまいまいした。近年重森三玲氏により復元されたものが「九山八海の庭」(霊の庭)です。「九山八海」とは須弥山世界(この世界は九つの山と八つの海からなり、その中心が須弥山だという仏説。)とも呼ばれ、仏を中心にした壮大な世界だそうです。


小書院の西から茶室にかかる寺号の霊雲を主題に、重森三玲氏が新たに作庭した「臥雲の庭」です。雲の描く美しさと無心に動く水の美しさを、鞍馬砂や白砂の波紋、枯滝組で現しているそうです。この奥には桃山様式の珍しい2階建ての茶室「観月亭」があります(太閤秀吉の北野大茶会当時のものが移築されたもの)。残念ながら工事中でしたが・・。

霊雲院
明徳1年(1390)傑僧岐陽方秀によって開かれ、始めは不二庵と称していたが、室町時代に霊雲院に改められた。第7世の湘雪守げんが住職のとき、親交のあった熊本藩主細川忠利より「遺愛石」を贈られる。
幕末には、この寺で西郷隆盛と勤王僧月照忍向が維新へ向けて密議を交わした。
また、日露戦争中東福寺はロシア兵捕虜収容所となったため、霊雲院でも50名の捕虜が8ヶ月間過ごし、彼等が作った楽器なども展示されている。
余談ですが、捕虜となったロシア兵の娯楽にと、あのニンテンドーDSの任天堂がトランプを提供したそうです。(任天堂は花札の製造から始まった会社でしたね。)

拝観料  大人 300円 中学生 200円

拝観時間 9:00〜16:00
 


桔梗の庭 天得院

桔梗の寺・花の寺として親しまれている東福寺塔頭「天得院」。通常は非公開ですが、夏の桔梗と秋の紅葉の見頃に特別公開されます。「桔梗を愛でる特別拝観」のポスターを見かけ、そうだ今年は行ってみようと思い立ち、先々月の「芬陀院」「光明院」に続いてまた東福寺界隈を訪れました。


苔の絨毯に咲く紫の桔梗。美しいです。(撮影日7月2日)


この窓は華頭窓といいます。逆さにするとお花の形になるそうです。撮影をするのに少々順番を待つくらい人気がありました。


丹精をこめて育てられた約300本の桔梗は清楚で可憐で美しく、この蒸し暑さの中でもそこだけ涼しく感じられました。


拝観時にいただいた可愛いうちわです。華頭窓の向こうに桔梗と紅葉、お抹茶と精進料理が描かれています。じっとしていても汗が流れてくるような暑い日でしたので助かりました。ニコニコラッキー

寺域は意外に狭く拝観者も多いので(腰が重い私も来ているくらいですから)、あまり落ち着ける雰囲気ではありませんでした。ポスターに書かれていた「桔梗を愛でる」ためには定員オーバーという感じです。静かな時に訪れて縁側に座り、ゆっくりと観賞したいお庭です。

天得院
南北朝時代の正平年間に無夢一清禅師によって開創され、東福寺五塔頭の一つとして隆盛した。その後一時衰退していたが大機慧雄禅師により再興される。
慶長19年(1614年)に文英清韓長老が住持となり、豊臣秀吉・秀頼から五山の学僧として寵遇され、秀頼の依頼により「方広寺」の鐘銘を撰文した。しかし銘文中の「国家安康・君臣豊楽」の文が徳川家を呪うものとして家康の怒りを招き、天得院は取り壊された。堂宇は天明9年(1789)に再建され、明治元年(1868年)に山内の塔頭本成寺を合併し現在に至る。(拝観時のパンフレットより)
天得院のホームページはこちら

波心庭、光明院(東福寺塔頭)

東福寺の三門の脇を通り過ぎ、南の六波羅門から出て、さらに南に少し歩くと東側に「光明院」があります。


山門の中に雲嶺庭が見えます。門柱の左に「光明院」右に「光明禅院 昭和名園 波心庭」と書かれています。


山門から左手、きれいな新緑です。 突き当たりに摩利支尊天が祀られています。
この右側に玄関があり、拝観の入り口となっていました。拝観料ではなく志納金を竹筒に納めて拝観するシステムでした。


本堂の前からです。こちらの縁側に座りずーっとお庭を眺めていらっしゃる方がいました。本当にいつまででもそうしていたくなるような・・。
季節的に苔の色がまだ茶色っぽかったのですが、美しい色になったら絶対にまた訪れたい(何度でも!)と思います。


本堂だけでなく書院にも庭に面して縁側があります。そのどこから見ても静謐で清白で凜とした美しさがありました。


網代を張った丸窓から見える景色です。

玄関に一歩足を踏み入れると空気が違うと感じます。がさつな私でも音をたてないようにしよう、粗相をしないように気をつけようと思いたくなる。これが本当の空気を読むかな?なんて思ったとたん、靴箱のところで足を踏みはずしたひやひや

東福寺塔頭の光明院は1931年に金山明昶(きんざんみょうしょう)により創建されました。
「波心庭」は、JR「そうだ京都、行こう」(2000年秋)のポスターにもなるくらい美しい枯山水です。作庭は先日書いた芬陀院と同じく昭和の作庭家 重森三玲(しげもりみれい)氏によるものです。桜と躑躅(つつじ)の春、新緑の初夏、そして紅葉の季節、四季折々の美しさを見せてくれることから「虹の苔寺」とも言われています。まさに昭和の名園です。

実は山門の前で眼鏡を落とし、レンズがフレームから外れてしまったのです。あわわ!なんとかしなくちゃ!レンズが片方しかない眼鏡をかけたら変なオバサーンって思われちゃうかな。禅寺に入る前からこの心境。ああ、もう煩悩の塊。

「多勢入山者は好みません。庭の自尊心も傷つけますので
是非にと思われる方以外 どうでも良いと思われます方は
自問の上入山しないで下さい。尚皆様方を信じて居ります故
諸作法をお守り下さいますようお願い申し上げます。」

山門右横のたて看板に書かれていました。

私は庭の自尊心を傷つけなかったかな?

「波心庭」の記事はこちらこちらにも。

 

雪舟寺、芬陀院(東福寺塔頭)

徒歩で行ける範囲なのにあまり行っていなかった東福寺界隈へ。今回はお庭がすばらしいと噂の「芬陀院」と「光明院」だけささっと見てきたのですが、次回はもっとゆっくり拝観したい、そして他の塔頭も見て廻りたいなと思いました。東福寺の周りを歩いていると塔頭の他、幼稚園や公立の小学校や普通のお宅も点在していることに気がつきます。どこからどこまでが東福寺なんじゃー!?と考えつつ・・
まずは「芬陀院」です。

山門の内に綺麗な緑が続いています。


「鶴亀の庭」と呼ばれる方丈の南庭は、美しい苔地の中に鶴島と亀島の石組みがある。と駒札に書かれていました。でも苔の色が茶色・・。ウマスギゴケなんて試食したくなるような名前の苔なのに(食えるのか!? )。 調べてみたら綺麗な緑色の時期は6月上旬から12月くらいまでのようでした。その時期にまた来たい。


茶室の図南亭から見える東庭。おお!これぞニッポン!

東福寺の塔頭である「芬陀院」は鎌倉年間、ときの関白一條内経公が、定山祖禅和尚を開山として創建。雪舟作の名庭を伝えることから「雪舟寺」の名で親しまれている。
二度の火災等と永い歳月の中で荒廃していたところを、昭和14年に作庭家 重森三玲氏によって一石の補足も無く復元修理された。

拝観料 300円
拝観時間 9:00-17:00(12月~3月は9:00-16:00)

雪舟庭園誕生の逸話(拝観時にいただいたパンフレットより)
雪舟は少年時代、禅僧になるため備中宝福寺に入るが、修行もせずに絵ばかり描いていたので、住職が戒めのために雪舟を本堂の柱に縛り付けた。その夕方住職が本堂を覗くと雪舟の足元でねずみが動いていた。それは生きているねずみではなく実は雪舟が涙で描いたねずみだった。それほどいきいきと描かれていた。
後に関白一條兼良公がそれを思い出し、雪舟に亀を描くように所望した。しかし雪舟はいっこうに筆を取ろうとはしなかった。ところがある日庭に出て砂を整え石を動かし始めるとしだいに亀の形になり、数日後には立派な石組みの亀が出来上がった。その夜、妙な音がするので和尚が障子の隙間から庭を覗いてみればその石組みの亀が手足を動かして這っている。和尚がこれをなんとかするように依頼すると雪舟は亀の甲に大きな石を載せた。すると亀は動かなくなった。兼良公は其の功を認め雪舟に一寺を与えようとしたが、画の勉強がしたいからと断り、明(中国)に旅立った。以来「渡明の亀」とも「亀に乗って明に渡った」とも言われるようになった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここに来る途中で渡った東福寺の臥雲橋から見た通天橋です。

秋の紅葉はもちろん素晴らしいけれど、初夏の青紅葉は想像以上にきれいでした。
 

紅葉の東福寺

紅葉の名所、東福寺です。


通天橋から見下ろす紅葉は絶景!と有名なのですが、400円払わないと行けないので(どんだけケチなんや!?)、下のほうの東福寺の境内にありながら地元の学生さんの通学路にもなっているという不思議な木造の橋、臥雲橋から通天橋を撮りました。 この構図、ネット上にメッチャ多いのですけど、まさかみんな400円を惜しんで?・・・。



禅堂の脇の紅葉も鮮やかでした。

東福寺
臨済宗東福寺派の大本山。創建は1236年、たびたび火災によって幾多のものが消失するが、貴重な文化財は数多く現存する。

拝観時間
4月〜10月末      開門8:30   9:00〜16:00
11月〜12月初旬     開門8:00   8:30〜16:00
  
 
12月上旬〜3月末      開門8:30   9:00〜15:30
拝観料
通天橋・開山堂拝観料 400円(小中学生 300円)
方丈八相庭園拝観料 400円(小中学生 300円)

東福寺のホームページはこちら


1

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM