清水寺周辺、ちょっと混んでますね。

用事ついでに久しぶりに五条坂から清水寺界隈を歩くと、木々はしっかり色付いて、プチ紅葉観光ができました。毎年これから紅葉が美しいというときに忙しくなってしまうのですけれど・・・でも紅葉見物したい!

 

あらまぁ、色鮮やか! 大谷本廟

Google マップ

 

 

五条坂を上り、七味家さんの角で三年坂に下りて、青龍苑に寄ってみました。

青龍苑は、料亭「京都阪口」が所有する広大な日本庭園に京都の銘店などが建つ複合施設です。苑内には茶室がいくつか配され、植治こと小川治兵衛氏によって造営されたものを再構築した庭園だそうです。古くは木下長嘯子(豊臣秀吉の正室北政所の甥)の隠棲の地であったことが知られています。

 

 

茶室 長嘯庵

 

 

茶室 清涼

右側の方が趣があったのですけど、そこに大変仲睦まじくされていた若いお二人がいらしたため、無粋なことをしてはいけないとそちらから撮るのはあきらめましたがく〜

 

 

今の季節は赤と緑が本当に美しいですね。

三年坂の人混みからちょっと離れたいときに、ここに寄ってお庭を見ながらほっこりしています。(無料です。)

青龍苑のHPは こちら

三年坂の地図

 

以下、人であふれる道を・・。

清水寺の参道。

 

二年坂。

 

八坂の塔。

どこも混んでいますが、これはまだ序の口なんです唖然

 


鴨川 鳥さん 8

日に日に秋が深まる鴨川です。

 

四条大橋のちょっと北、祇園町を通った白川が鴨川と合流するところ。水流に耐えて?たたずむアオサギさん。カラフルな落ち葉が水路に貼り付いて、その上を水が流れています。

 

 

今秋初めてのオナガガモ。(前にオナガガモらしき影を見たと書きましたが、間違いなく間違えてましたひやひや

 

 

尾羽が長くシュッとして、全体をモノトーンで決めるおしゃれさんニコニコ

 

 

鴨川鳥さんと書きながら、ヌートリアも。最近は余り見なくなったなぁと思っていたのに、やっぱり居たんだ。巨大なネズミです。顔が可愛いからって騙されないぞ!君は外来生物法による侵略的外来生物に指定されているのだから。京都府のホームページ

 

 

ついでだから楓も。木によっては、緑から赤に徐々に変わってきていますもみじ

 


秋らしくなりました。

少しの距離ですけど、三条から五条大橋の間です。

 

三条大橋を四条の方から見ています。桜はすでに紅葉していますが、楓はまだ緑でした。

 

 

アオサギさん (四条大橋付近)

 

 

今秋、初めて見たヒドリガモたち。お久しぶりです〜。( 団栗橋付近)

これからまたユリカモメもやってきて、賑やかになりますね。

 

 

少し前まで河原は草ぼうぼうの上、台風の時になぎ倒されてひどい状態でした。昨日は「除草工事中」の看板が立って、きれいに刈り取られていました。(松原橋付近)

 

 

赤や黄に色付いた桜。川端通りの五条大橋付近です。

 

11月2日の鴨川でしたニコニコ

 


八木家 新選組屯所遺蹟 あの刀傷!

文久3年(1863)にこの地で新選組が誕生しました。ここに屯所が置かれ、慶応元年(1865) 西本願寺に移った後も、江戸に下る最後まで繋がりがあったという八木家を見学しました。

短期間でもここに土方さんが、沖田さんが、斉藤さんがいたのね〜なんて、特にファンではないけれど思ってしまった。

 

門前にある八木家経営の和菓子屋さん、京都鶴屋「鶴寿庵」で入場料1000円を支払い、拝観後にいただける抹茶&和菓子のサービス券と八木家についてのプリントをもらいました。

 

 

八木家は幕末期の遺構、また新選組壬生屯所旧跡として、京都市の有形文化財に指定されています。 尚、撮影できるのはこの門の前までということでした。

 

 

入り口は長屋門です。長屋門は武家屋敷のほか、地方の名士や旧家などに持つことを認められていました。(長屋門とは⇒ウィキペディア)。

門幕にも描かれている三つ木瓜の家紋は、ご先祖が鎌倉時代 源頼朝の富士裾野の巻き狩りの際に、関東一円を震撼させた白い猪を射止めた功績で頼朝から拝領したと伝えられています。また、この幕に使われている水色は新選組のだんだら模様の羽織と同じ色ですね。壬生の色なのだそうです。

 

 

本玄関から中に入らせていただき、新撰組(当初は壬生浪士組)の結成から芹澤鴨暗殺の経緯、その後の新選組などについて興味深いお話をお聞きしました。説明の後はガイドさんに従って主屋の見学をします。

この家は武家屋敷の造りで、部屋の中で刀を振り回すことができないよう鴨居が低いということです。そのため芹澤鴨暗殺時に刀がぶつかったのでしょう。鴨居にくっきりと傷跡が残っていました。(プラスティックで大切に覆われていました。)その傷の下あたりに彼がつまずいて命取りとなった文机がありました。当時のままあるというのがちょっと恐いです。

この日は余りお天気の良くないウィークデイでしたが、にもかかわらず大勢の方が見学されていました。その年齢も様々で、皆さん熱心に聞き入っていらっしゃいました。

 

 

見学が終わりましたら「鶴屋」さんでお抹茶と「屯所餅」をいただきます。

この店舗の場所はかつて離れがあったところで、こちらも屯所として使われていました。当初芹澤は主屋の座敷に、近藤はこちらで寝起きしていたそうです。

 

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新徳寺

新徳寺は新撰組にまつわる最初の大舞台となった場所です。上洛した新撰組の前身浪士組のリーダー清河八郎が浪士達を集めて、大演説をしたのが新徳寺の本堂です。(ウィキペディアより)

八木家の南東方向、すぐ近くにあり、表札には「新徳禅寺」と書かれていました。

 

ブログ内新選組関連の記事 島原 角屋 本光寺 月真院 壬生寺

 

八木家のHPはこちら(家の歴史、新選組について、その関わりなどが詳しく書かれています。)

Googleマップ

 


壬生寺 (壬生狂言と新選組ゆかりの寺院)

古くから京都三大狂言のひとつ壬生狂言や、新選組ゆかりの寺として知られている壬生寺を拝観しました。(京都三大狂言はほかに嵯峨大念仏狂言・千本ゑんま堂大念仏狂言)

 

表門正門) 寛政11年(1799)再建。

主柱と後ろに立つ控柱にも小屋根が乗る高麗門。(そう言えば蛤御門もこんな形だったなぁと調べてみれば、他にも金戒光明寺、島原大門も高麗門でした。が、何のことは無い、江戸時代以降多く築造された形式だそうで、普通に良くある門なのでしたがく〜

 

 

本堂  昭和45年(1970)に再建。

昭和37年(1962)に全焼し、本尊 地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失いましたが、新しい御本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が律宗総本山唐招提寺から遷され、昭和45年に落慶法要が行われたそうです。

 

 

本堂の少し側面から。とてもカラフルです。

 

 

千体仏塔  平成元年(1988)に壬生寺創建1000年を記念して建立されました。明治期の京都市区画整理の際に各地から集められた石仏です。室町時代からの阿弥陀如来像や地蔵菩薩像などちょうど1,000体がミャンマーのパコダのように円錐形に安置されています。

 

 

中院  壬生寺に残る唯一の塔頭寺院。洛陽三十三観音霊場第二十八番札所。現在の御堂は文政12年(1829)の再建で、鎌倉時代に作られた十一面観音菩薩が御本尊です。福寿無量のご利益があり健康長寿に霊験あらたかな観音様だそうです。

 

 

大念佛堂(狂言堂)  安政3年(1856)の再建。重要文化財です。

この建物の二階部分で壬生狂言が演じられます。 綱渡りをする「獣台」、演者が飛び込んで消える「飛び込み」など能舞台には見られない装置がある特異な建造物であることから、国の重要文化財に指定されているそうです。

壬生狂言⇒ウィキペディア

 

 

阿弥陀堂  平成14年(2002)の再建。現代の新しい建築で、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)が安置されています。また地階には壬生寺資料室があり、寺宝や新選組関連の資料が展示されています。

新撰組隊士が合祀されている壬生塚はこの阿弥陀堂から入ります。(200円の入場料が必要でした。)

 

 

壬生塚は池の中島にあり、新撰組隊士のお墓や近藤勇の胸像があります。

左は芹澤鴨と平山五郎、真ん中は隊士7名の合祀されているお墓。右は 河合耆三郎のお墓(墓碑は河合の親族が建立)です。

 

 

 近藤勇の胸像。俳優の故・上田吉二郎氏によって建てられたものです。

局長〜! せっかくですから、横顔も。

 

 

左は一夜天神堂  嘉永5年(1852)の再建。「一夜天神」の名は天神・菅原道真が流罪になった時に、この地を訪れ一夜をあかしたという故事に由来しているそうです。学業上達のご利益。

右は弁天堂  明治27年(1894)の再建。本尊の秘佛・辧財天は、清水寺の延命院より移されたもので、子孫繁栄・金運上昇のご利益があるそうです。

 

 

左は水掛地蔵堂  堂内の地蔵菩薩(石仏)は江戸時代中期の作。水を掛けながら祈ると、一つの願いが叶うと信じられ、「水掛地蔵」と呼ばれています。

右は稲荷明神が祀られている、壬生川の地名に由来した三福川稲荷堂で、五穀豊穣・商売繁盛のご利益を伝えています。(ほかの三社は表門から本堂までの間にありましたが、この稲荷道だけは北門の近くにありました。)

 

壬生寺

三井寺の僧快賢が正暦2年(991)に創建した律宗の寺院。その後火災により堂宇を焼失。平政平によって正元元年(1259)再興され、中興の祖・円覚上人が悪疫駆除のため壬生狂言を始めたことから信仰が盛んになった。新選組ゆかりの寺でもあり、境内の壬生塚には新撰組隊士の墓塔が祀られている。

 

かつては兵法の調練場となり、砲術や剣術の訓練をしていた境内。(仏教は殺生禁断ですから、きっと迷惑なことだったでしょう。)そして、150年以上経った今は、老人ホームや保育園が建っています。

 

壬生寺のHPはこちら

Googleマップ

 



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