佛光寺 繁華街にあって ゆっくりできる寺院です。

場所だけなら知っている佛光寺に初めて足を踏み入れたときは 広い!大きい!立派な伽藍!と、びっくりしながら横断しただけでした。それが先月のこと。

何十年と徒歩で行ける範囲に住みながら一度も行ったことがなかったなんて自分でも驚いてしまいます。今度はちゃんとお参りもさせていただこうと先日また訪れました。

 

境内に入って驚いたのは、立派な伽藍だけでなく、この大きなイチョウの木。来月には黄色く色づいて、地面に色鮮やかな絨毯が敷かれるのでしょう。この木は平成11年秋に下京区民誇りの木に選定されたそうです。形も佇まいもすご〜く素適な銀杏の木です。

 

 

高倉通りです。この通りになんと4つも御門が並んでいます。

 

 

こちらは勅使門(左)と玄関門(右)。

玄関門は一番右(北)にあり、その隣に勅使門がありました。

 

 

御影堂門です。

 

 

阿弥陀堂の正面にある阿弥陀堂門(本堂門)です。

 

 

阿弥陀堂。御本尊 阿弥陀仏、聖徳太子像、法然上人坐像などが安置されています。

 

 

阿弥陀堂と大師堂は立派な廊下で結ばれていました。その手前にある枝垂桜も大変見事で、前述のイチョウと同じく下京区民誇りの木に選定されているそうです。来春にはこの桜の満開の姿を絶対見に来るぞ!

 

 

大師堂。親鸞聖人坐像などが安置されています。

 

 

自由にお参り出来るようでしたので、大師堂に入らせていただきますと広く厳かな空間で、須弥壇は黄金のイメージでした。その中央に親鸞聖人坐像があり、上方の額に聖人の諡号(しごう)である「見真大師」の意でしょうか、「見真」と書かれていました。また、両脇壇には了源上人・前住上人の絵像が安置されているそうです。

 

 

大師堂の広縁。荘厳な雰囲気です。

 

 

2014年11月にオープンした「D&DEPARTMENT KYOTO by 京都造形芸術大学」のセレクトショップ。もともとあった「和合所」を改装して作られたそうで、何ともレトロな 雰囲気のよい建物です。

 

 

調味料・お茶・陶器・ステイショナリー・風呂敷・工芸品などなど・・多種多様。

人口あたりの大学と寺院、アート系職人はとても多いと思われる京都市ですから、こういうコラボはもってこーい!みたいな?

 

 

同じく上記コラボの「d食堂」。畳敷きに低いテーブルと椅子、これがほっこりするんです〜。そして東側に御簾(みす)とお仏壇、さすがは寺カフェです。つい手を合わせたくなりましたが、それをこらえてラテをいただきました。

 

 

「d食堂」は朝の説法などに使用されている「茶所」を利用しています。

D&DEPARTMENT KYOTO by 京都造形芸術大学のHPはこちら

またこの建物の周りで読書をされている方、談笑をされている方も多かったです。くつろげる場所なんですね。

 

本山佛光寺(真宗佛光寺派)

親鸞聖人が越後流罪赦免後、山科に草庵を結ばれたことを起源としている。
聖人在世当時、真宗の教えは関東に広がりを見せていたが、聖人没後南北朝時代に第七世了源上人が活動の拠点を京都に置き、西日本一帯の布教活動に力を入れた。
元応二年(1320)、寺基を山科から今比叡汁谷(現 国立博物館辺り)に移し、天正十四年(1586)には豊臣秀吉の懇請により、五条坊門(現在地)に移した。
京都の中心部に移転して400年余り、その間も多くの苦難に見舞われたが門末の念仏相続の御懇念によって仏光寺の法灯は守り継がれてきた。(駒札より)

 

佛光寺はほとんど繁華街という立地ですが、境内に入ればその喧騒はなく、のんびりと落ち着ける寺院です。この辺りを通ったらまたふらふらと足が向いてしまうだろうな。

 

佛光寺のHPはこちら

Googleマップ

 

 


台風一過 鴨川

台風の後快晴となった鴨川を少〜しだけ散歩しました。

北の空はほんまに快晴!

 

 

南はまだ厚い雲が頑張ってました。

 

 

増水してるなあ・・・と思ってるのかどうか。とりあえずボーッとしてるように見えるダイサギさん。

 

 

腰を下ろしたら何だか周辺が雲黒斎(ウンコクサイ・・)!唖然 まさかすぐそばにアレがあるのでは?と見回すとあちこちにギンナンが落ちてました。上の川端通りのイチョウ並木から、ここまで転げてきてたのですね。

 

 

(この画像はクリックで拡大します。)

四条河原町方面に行くときはいつも鴨川の遊歩道を行くのですが、ここしばらくは陽射しに耐えられなくて避けていました。歳をとったなあなんて思っているうちに、いつの間にかヒガンバナが咲いてました。そうこうしているうちに、冬の鳥がやって来ちゃいますね。

 

 


京都国際マンガミュージアム。漫画耽読!夢中になってました。

マンガミュージアムに行きたーい!って10年くらい思っていたのですけど、やっと重い腰が上がりました。

 

ここが入り口ね?。足を踏み入れると両側にカフェ!? ほんまにここからでいいんですか?

年齢制限無いよねぇ、オバサンは浮いちゃうかな?と恐る恐る・・。中に入れば私よりも高齢と思われる外国の方がいらっしゃいました!ひと安心ニコニコ

外国の方、多いですねぇ。しかも皆さん熱心なご様子で驚きました。

 

 

マンガミュージアムは旧小学校(龍池小学校)の校舎を活用しています。そのせいでしょうか、ちょっと歩けば床がギシッ!! うわっ! 鴬(ウグイス)張りか!?と驚いたら、そこらじゅうでギシギシいってました。これもレトロ感に一役買っている?唖然 

方向音痴の私にはこのミュージアムは迷路のようでしたが、各階に設置されている検索機?のお陰で何とかなりました。検索機は救世主です。大変お世話になりましたニコニコ

今となっては滅多にお目にかかれない古〜い漫画を読みふけることができて大変満足、800円の入館料(しかも当日に限り再入場可)で1日中楽しめそうです。

それから、トイレはすぐに見つかってオバサンとしてはありがたいですたらーっ

 

京都国際マンガミュージアムHP

Googleマップ

 


粟田神社。どっしりとした風格があります。

東山区にあるものですから、いつでも行けると思いながらン10年も経ってしまって・・。

先日、やっと粟田神社を参拝致しました。

 

扁額に「粟田神社」と書かれているので、うん、間違いないなと三条通に面した第一鳥居をくぐりました(方向音痴なので時々こういうもので確認するのですポロリ)

 

 

第二鳥居は「感神院新宮」と書かれていました。ここからぐっと登り坂です。この鳥居の手前に細い道があり、右(西)に進めば神宮道に出ます。

 

 

鍛治神社(末社)です。第二鳥居をくぐるとすぐ左手にある駐車場内に鎮座されていました。
その昔この近辺には多くの刀工が住んでいました。その屋号は粟田口、あるいは三条小鍛冶とも号したそうです。
刃物、鍛冶及び勝運、開運の社として、製鉄の神である天目一箇神(あまのまひとつのかみ)と、名刀工三条小鍛冶宗近粟田口藤四郎吉光が祀られています。

 

 

緑が美しい参道に戻ります。上まで延々と続くのかと思いましたが、大した距離ではありませんでした。秋には紅葉のアーチが美しいそうです。

 

 

坂を上って行くと、もうすぐ境内というところに立派な御神馬(ごしんめ)像が建っていました。明治末に奉納されたものだそうです。

 

 

拝殿です。元禄10年(1703)に建てられたと伝え、細部様式もこの頃のものと判断されるそうです。平成21年に屋根が葺き替えられました。

 

 

古からの風格を感じさせる本殿です。
文化2年(1805)6月に焼失後、文政6年(1823)に再建されました。本殿の前に拝所を付設した幣殿(神様にお供え物をするための建物)が接続する複合社殿です。拝所の彫刻・装飾には時代的特色が見られ、屋根等の変化に富んだ外観は江戸時代後期の複合社殿として価値が高いということです。

 

 

本殿の北側には末社(本社に付属し、その支配を受ける小社)の「朝日天満宮・多賀社」「大神宮」、摂社(本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祀った神社)の「出世恵美須神社」が並んでいます。

 

こちらは上の写真の一番左、菅原道真公を祀る学問の神様で京洛二十五社の一社朝日天満宮と、滋賀県の多賀大社の御分霊を祀る、縁結び・長寿の神様の多賀社のお社です。

 

真ん中の大神宮です。元々は青蓮院坊官の旧宅地の鎮護神でしたが明治になってこちらに遷座されました。現在は八幡神春日神が両脇に配されているそうです。

 

右端の出世恵美須神社です。源義経が幼少時の奥州下降のとき、源家再興の祈願をされた恵美須神だそうです。500年以上前、蹴上の山崩れで土砂とともに流出し、止った所に永く祀られていましたが、明治になり粟田神社摂社として遷座されました。家運隆盛、商売繁盛の恵美須様です。

 

 

北向稲荷神社(摂社)。創建年代は不詳ですが、江戸時代の絵図には稲荷社が載せられていたそうです。御祭神は雪丸稲荷他三座。雪丸稲荷は、三条小鍛冶宗近が一条院の勅命により剣を打つ際に相槌を打ったお稲荷さんで、打ち上げた剣の表には「小鍛冶宗近」、裏には「小狐」の銘を打ったと云われています。

本殿手前の南側に、文字通り北向きに建っていました。

 

 

太郎兵衛神社(末社)。北向稲荷神社の左隣に鳥居がありますが、お社はこの鳥居をくぐってから右に曲がり、北向稲荷神社の後ろにありました。
青蓮院の御門の西に奉祀されていた土地の守り神で、陶芸家、故楠部彌弌氏が信仰されていたお社だそうです。

 

 

吉兵衛神社(末社)。三条神宮道辺りにあった青蓮院の御門の東に奉祀されていた土地の守り神だそうです。

 

 

この参道をまた通って、途中のサルスベリなどを見ながら帰りました。お参りをした後は気持ちがいいです。

 

粟田神社

京都の東の出入口である粟田口に鎮座する神社です。京都と各地を結ぶ主要な出入り口であったため、人々は旅の安全を祈り、また無事に都へ戻れたことを感謝してお参りをされました。そしていつしか旅の神様として世に知られることとなりました。

旧名は感神院と称する八坂神社に対し、感神院新宮または粟田天王宮。明治になり粟田神社と改称されました。

スサノオノミコト(建速素盞嗚尊)・オオナムチノミコト(大己貴命)を主祭神として祀り、厄除け・病除けの神として崇敬されています。御神徳は、旅行守護・厄除・病魔退散・縁結び・安産・経営守護。

 

粟田神社のHPはこちら

Googleマップ

 


日限(ひぎり)さん。五条坂の安祥院。

大きな提灯に「日限地蔵尊」と書かれた安祥院さんの山門を今回初めてくぐらせていただきました(勝手に)。よく通るところなのに一度もお参りしたことが無かったなんて今までもったいないことをしていました。

 

山門は清水寺につづく五条坂の勾配に沿って建っています。

安祥院は天慶五年(942年)朱雀天皇の勅願によって、乙訓郡に創建された天台宗の寺院が始まりといわれています。荒廃と復興を繰り返した後、享保十年(1725年)に木食(もくじき)僧の養阿(ようあ)上人によってこの地に再興されました。現在は浄土宗の寺院です。

木食僧とは五穀を断ち、木の実や草などを食料として修行する僧のことです。

 

 

100mほど東に市営の清水坂駐車場があるため、往来する観光バスがかなり多いですが、境内に一歩足を踏み入れるとその喧騒が嘘のようです。

 

 

門をくぐって、右に行く小路の突き当たりに「大辨財天」と書かれたお社がありました。まっすぐ本堂にお参りするところですが、小路に咲く白いユリの花に誘われて、こちらに来てしまいました。

 

 

本堂です。残念ながら今回はご本尊の阿弥陀如来様は拝見できませんでしたが、お彼岸と毎月の功徳日には公開されるそうです。
手前の大きな桜の木は「京都市指定保存樹 ヤマザクラ」と札に書かかれていました。これは春には観賞させていただかないとニコニコ

 

 

本堂左手にある地蔵堂には「日限(ひぎり)さん」と呼ばれる「日限地蔵(ひぎりじぞう」が安置されています。
開運・安産・厄除けなどの願い事を何日に何日までにのように日を限ってお願いすると叶えられると伝わっています。

 

 

地蔵堂の左数メートルの小路の先にある「豊川陀枳尼天」のお社。

 

 

山科日ノ岡峠の車石です。

正禅上人(養阿上人)は元文3年(1738)に完成した日ノ岡峠の改修工事を始め、石橋の架設や寺社の敷石など、多くの土木工事を行っているそうです。

 

 

「右 正禅上人自筆大日三尊、光明真言碑。左 西京極佃橋から移築された橋桁石」と立て札に書かれていました。橋桁石はこの画像ではとっても分かりにくいですけど、手摺りの下の長い石です〜。

 

 

境内至るところにタカサゴユリ(テッポウユリ?)が咲いていていて、清々しい気持ちになります。

 

 

弁財天様の傍らにありました小さな石仏。大日如来様かしら?

 

たまたまかも知れませんが、どなたも境内にはいらっしゃいませんでした。この坂を通る方はほとんど清水寺を目指しているからでしょう。五条坂にありながらこんなに静かで落ち着いた場所。石畳に桜の古木、苔、シダ、緑の草木、それに願い事をかなえて下さるお地蔵様も。これからはこの坂を通る度に立ち寄ってしまいそうです。

 

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