本満寺 季節の花木が美しい。

まーだ先月の続きです。

阿弥陀寺からさらに南へ。左手に「本山本満寺」と書かれた石塔を発見。これはもしかして、もしかしなくても枝垂桜などで有名な?とさっそく山門をくぐらせていただきました。

 

山門門前 門の左わきの鳥居は妙見堂。

 

 

妙見堂です。

洛陽十二支妙見めぐりの一つで丑(北北東)にあたり、出町の妙見様として崇められています。

妙見大菩薩(北辰菩薩)とは北斗七星を神格化した菩薩の事で敵を退け災難から人を守り、寿命を延ばす福徳があるそうです。

 

 

山門(西山門)
京都御所から寄贈されたもので重要文化財です。

こちらから入って左側に有名な枝垂桜があるのですが、この時はもう9月ですから(>_<) でも樹形だけでも想像がつく見事なフォルムでした。桜の頃に来るべきですね。

 

 

七面堂
14世・日遠が七面山で千日修行した際に感得したという、法華経を守護する女神七面天女が祀られています。

 

 

本堂

 

 

鐘楼

 

 

酔芙蓉

朝から夜にかけてお酒に酔ったようにだんだんと赤みを帯びてくる酔芙蓉。天寧寺の酔芙蓉も評判でしたが、この日は残念ながら咲いてなかったので、こちらで見られて良かったです。

 

 

ヤブランとタマスダレ

 

 

季節の花木が美しい、良く手入れのされた境内です。

 

本満寺
応永17年[1410年]近衛関白道嗣の嫡子 玉洞妙院日秀が、今出川新町に朝廷より三万坪の敷地を与えられて創建した日蓮宗の本山。天文法華の乱(天文5年[1536年])の後、天文8年[1539年]に関白近衛尚道の外護により現在の地に移り、後奈良天皇の勅願所となる。宝暦元年[1751年]徳川吉宗の病気平癒を祈り、以来幕府の祈願所となった。本尊は十界大曼陀羅。

 

もう先月の事なので、だいぶ記憶が薄くなってきていますから、せめてこの付近の街並だけでも と、ストリートビューで確認してみみましたら、なんと本満寺の境内に入れるじゃないですか。これでは私のヘタな写真は載せる必要なかったです(/_;)(;´Д`)

Googleマップ

 

 


阿弥陀寺 織田信長公本廟所

先月の散歩、未だに続きを書いてます。
鞍馬口通りから寺町を南下していましたら、「織田信長公本廟」の石碑が立つ阿弥陀寺の門が現れました。信長の墓所があることで私でも名前くらいは知っている阿弥陀寺です。あ、ここなんだ!と(勝手に)入らせていただくことにしました。しかし「阿弥陀寺」の名の寺院はすっごい沢山ありますので、この石碑が無ければ気が付かなかったでしょう(名前は知ってても場所は知らなかった(^^;)。

 

山門です。

門の手前左脇に、「織田信長公本廟」の石碑が立っています。

 

 

本堂です。
余り大きくはないけど落ち着いた雰囲気でした。御本尊は阿弥陀如来様。通常は非公開。
信長公と長男信忠の木造が安置され、毎年6月2日に行われる「信長忌」の時に公開されます。信長の像や肖像画の中では一番本人に似ているそうです。

 

 

本堂にかかる山号「蓮台山」の扁額。

 

 

庫裏です。
チャイルドシート付きの自転車が置いてあるところに、親しみが持てます(*^^*)

 

 

織田信長公本廟所

すごく豪華なお墓をイメージしていましたから、意外に地味なんだなぁって、そんな印象でした。でも、こちらで大切にお供養されているのですね。(墓地に一人でいるのが怖くて、早々に退散してしまいました。それほど誰もいなかったのです。もっとしっかりお参りさせていただけば良かったと反省。)

 

 

本廟所の案内板。

渡り廊下の下を通って墓地に出ます。この案内板が無ければ、30分はウロウロしていたことでしょう。

 

 

鐘楼です。

 

 

鎮守社です。

 

 

せっかくだから境内にこんもりと茂っていたススキも(何がせっかく?)

 

阿弥陀寺
天文24年(1555年)近江国坂本に玉誉清玉が創建したのが始まりとされる浄土宗の寺院。後に織田信長の帰依を得て、今出川大宮に移転した。
天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が討たれた際、清玉上人自ら現地に赴き信長の遺灰を持ち帰り、その後長男信忠の遺骨も二条御新造より拾い集めて埋葬したという。また、信長の家臣や本能寺の変の犠牲者大勢も葬り供養したとされる。
天正13年(1585)豊臣秀吉の都市計画によって現在地に移った。

 

5年前に拝観した大雲院にも織田信長・信忠の慰霊碑があることを思い出しました。正親町天皇の勅命により信長親子の菩提を弔うため、御池御所(烏丸二条南)に貞安上人が開山したということでした。
供養塔や慰霊碑が建つところは京都だけでもまだ数カ所あります。戦国武将ランキングで常に上位にいらっしゃる方ですから全国にはもっともっとあるのでしょうね。

それにしても本能寺も阿弥陀寺も大雲院も今は当時の場所に無いのですよね。秀吉さんの都市計画で。

 

Googleマップ

 


そろそろ渡って来てます?

一昨日、ほんとに久〜しぶりに鴨川を歩いていて(もちろん遊歩道です)、見つけました。私にとって今秋初めてのヒドリガモさん。

秋から春までの鴨川には色々な鳥が来て賑わうのです。前シーズンはちょっと忙しくて余り散歩もできなかったから、今回2羽のヒドリガモさんを見つけて嬉しかったな(*^^)v 。

スマホからのズームなので、画質は良くないです(T_T) 。それにこれでは、どこの川なのか池なのか・・・?鴨川です〜、松原橋付近。

Googleマップ

 


御霊神社 怨霊鎮魂の神社で、応仁の乱勃発の地。

先日のつづき・・って随分経っちゃってますけど。寺町を南下していましたら「御霊神社」を示す碑がありました。しかも上部に時計が埋め込まれていて、時間も教えて下さる大変親切な石碑です。御霊神社といえば応仁の乱が始まったという?・・この近くなんだ!(何十年京都に住んでるんや)とお参りさせていただきました。

 

西側正面の鳥居です。最初は南側の楼門を通りましたけど、やっぱり鳥居のある正面から入らないとね・・とこちら側に回りました。鳥居には菊の御紋が付いています。

鳥居の左側の足元に花御所八幡宮、鳥居右側数メートルのところに応仁の乱勃発地の石碑がありました。

 

応仁の乱勃発の地
かつては御霊の森と呼ばれ、広大な土地に樹木が鬱蒼と生い茂ったこの地で、文正二年(1467)畠山政長と家督を争っていた義就の合戦が起こったことが応仁の乱の始まり(その年3月に年号が応仁と改まりました)。初めは小規模だったものが細川氏・山名氏の勢力争いに発展し、将軍家の後継争いも加わって、10年以上にも及ぶグダグダな戦いを続け、京都の大半を焦土にしたっていうやつです。
ご当地ネタで京都で先の大戦と言えば応仁の乱って言うあれですね。私が今まで拝観したお寺さんなどの歴史を見ると、大抵どこかに応仁の乱により焼失というフレーズありました。

 

 

鳥居の後ろに狛犬さんと立派な楼門。楼門の左右には随身像が置かれてます。

 

 

拝殿には賽銭箱の両脇と東側本殿の正面にお花が生けられていました。拝観者はほとんどなく、ひっそりとした境内でしたが、ここだけは華やかです。

 

 

本殿は、享保18年(1733)に寄進された内裏賢所御殿の遺構を昭和45年に復元したものです。

 

御霊神社の起こり

長岡京造営を進めていた桓武天皇の信頼厚い藤原種継が暗殺され、天皇の実弟である早良親王が罪に問われました。親王は無実を訴えるため一切の食を拒み、淡路島へ護送される途中無念のうちに亡くなったと伝えられています。
親王の死後桓武天皇の身内が次々と亡くなり、また疫病の流行などが相次いで起こります。親王の祟りと恐れた桓武天皇が、平安遷都の際に都の守り神として相良親王を祀ったことが始まりで、本殿には政争により非業の死を遂げた八柱の神霊が祀られたといわれています。

 

無実の罪を着せておいて、神様にするから祟らないでねって。それで都を守って下さっているとは、なんと寛容なお心でしょう。(定価で買ったものがセールになってるのを見てムカッ!とくるくらい心が狭い私には出来ないことです。)

ところで、このところ続いている天災も祟りじゃ無いですよね?今日も台風来てるし。もう来ないでね。

 

 

福寿稲荷神社[境内社]は江戸時代中期以前より、祀られていたそうです(初めは本殿南側にあった)

五穀豊穣・福徳円満・長寿延命・生業繁栄の御神徳があります。

 

 

神明神社[境内社]。本殿の後ろあたりです。

 

実はこの辺から3秒もカメラを構えていられなくなりました。私他人には好かれませんが、蚊の皆さんには良い人だと思われてるらしく、おおきに〜と大挙して群がってきます。(敵!と認識されているのでは?と思わなくも無いけど。)

 

 

厳島神社[境内社]

 

 

花御所八幡宮[境内社]

西側の大きな鳥居の下にある石碑の花御所八幡宮はここを示しているのでしょうか。

この地より南西約1劼里箸海蹐紡利将軍家が造営した花の御所があり、その鎮守として源氏の氏神である八幡神が勧請されたそうです。本来の場所は御所八幡町(烏丸上立売下る)と考えられています。尚、足利尊氏が邸内に勧請した御所八幡宮とは別のものだそうです。

 

 

南門は四脚門ですね。真正面に見える拝殿は西側の楼門からも一直線です。

右の御霊神社と刻まれた石碑にも時計が付いていました。何ゆえ?

 

京都で最古のお祭り

毎年5月1日から18日に行われる御霊祭は、千年以上も続く歴史あるお祭りです。最も盛り上がりを見せる18日の還幸祭では、剣鉾・3基の神輿、八乙女・稚児・若武者・牛車などが氏子地域を練り歩きます。

 

5月上旬頃に咲き乱れる紫のイチハツ(アヤメ科)や、秋には黄色い銀杏の絨毯と紅葉のコントラストも大変美しいそうです。また混みあうことも無いらしいですから、そのシーズンにも行ってみたいなと思います。

 

あ、そうや!季節によっては虫よけは必需品でしょう。

 

Googleマップ


天寧寺 額縁門から望む景色もお庭も素敵でした。

久しぶりの良いお天気でしたので、鞍馬口通りから寺町辺りの寺社を訪れるMy散歩をしました(9/19)

 

鞍馬口通りから寺町を南下すると左手に見えてくる天寧寺

額縁門」と呼ばれる山門から望む景色が有名な曹洞宗の寺院です。

 

 

本当に額縁に入れたように比叡山が収まってます。まるで絵画のようですね。

 

 

庫裏です。

手前に酔芙蓉の木がありましたが、まだ蕾の状態でした。

 

 

表門・本堂

江戸時代後期の伽藍の形態をよく伝え、市内においては数少ない曹洞宗の近世寺院建築として貴重であるということです。
塀の後ろ本堂脇に見える巨木は市内有数のカヤの大木で、京都市登録天然記念物とされています。

 

 

観音堂
後水尾天皇の念持仏の聖観音像と中宮東福門院の念持仏 薬師如来像が安置されています。

 

 

まんじいなり

 

 

わらべじぞう
ジュースのお供えがたくさん。

 

 

門をくぐってから撮りました。普通街中のお寺は山門から入ると正面に本堂があったりするのですけど、天寧寺は比叡山借景を遮らないようにするためか本堂や書院は左手にあります。

 

 

これは紫式部?小紫?ツヤツヤの綺麗な実を付けていました。

 

 

シュウメイギクはこれからかな?咲いているのはまだ2,3輪というところ。

 

 

ヤブランは今が盛りのようです。

その他にもススキの穂や、白萩の花もチラホラと。酔芙蓉は咲いていなくて残念でしたけど、随分と色々な種類の植物が植えられているのでしょう。綺麗に整えられたお庭は四季折々の花が楽しめるのですね。

 

天寧寺

山号は萬松山(ばんしょうざん)と号し曹洞宗に属する。

もと会津城下にあったが、天正年間(1573-1592)にこの地に移送されたと伝えられている。その後天明の大火により堂宇を焼失したが、本堂は文化9年(1812)に、書院は天保14年(1842)に再建された。本堂には仏師春日作と伝える本尊釈迦如来像を、観音堂には後水尾天皇の念持仏聖観音像及び東福門院の念持仏薬師如来像を安置している。境内墓地には江戸時代の茶人として有名な金森宗和、剣道示現流の開祖といわれる善吉和尚らの墓がある。

山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額縁に入れたように見えるところから、山門は「額縁門」と呼ばれて親しまれている。

(駒札より)

 

非公開ですが、境内は拝観できます。いいお寺でしたよ(^^)/

 

Googleマップ

 



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