そろそろ渡って来てます?

一昨日、ほんとに久〜しぶりに鴨川を歩いていて(もちろん遊歩道です)、見つけました。私にとって今秋初めてのヒドリガモさん。

秋から春までの鴨川には色々な鳥が来て賑わうのです。前シーズンはちょっと忙しくて余り散歩もできなかったから、今回2羽のヒドリガモさんを見つけて嬉しかったな(*^^)v 。

スマホからのズームなので、画質は良くないです(T_T) 。それにこれでは、どこの川なのか池なのか・・・?鴨川です〜、松原橋付近。

Googleマップ

 


御霊神社 怨霊鎮魂の神社で、応仁の乱勃発の地。

先日のつづき・・って随分経っちゃってますけど。寺町を南下していましたら「御霊神社」を示す碑がありました。しかも上部に時計が埋め込まれていて、時間も教えて下さる大変親切な石碑です。御霊神社といえば応仁の乱が始まったという?・・この近くなんだ!(何十年京都に住んでるんや)とお参りさせていただきました。

 

西側正面の鳥居です。最初は南側の楼門を通りましたけど、やっぱり鳥居のある正面から入らないとね・・とこちら側に回りました。鳥居には菊の御紋が付いています。

鳥居の左側の足元に花御所八幡宮、鳥居右側数メートルのところに応仁の乱勃発地の石碑がありました。

 

応仁の乱勃発の地
かつては御霊の森と呼ばれ、広大な土地に樹木が鬱蒼と生い茂ったこの地で、文正二年(1467)畠山政長と家督を争っていた義就の合戦が起こったことが応仁の乱の始まり(その年3月に年号が応仁と改まりました)。初めは小規模だったものが細川氏・山名氏の勢力争いに発展し、将軍家の後継争いも加わって、10年以上にも及ぶグダグダな戦いを続け、京都の大半を焦土にしたっていうやつです。
ご当地ネタで京都で先の大戦と言えば応仁の乱って言うあれですね。私が今まで拝観したお寺さんなどの歴史を見ると、大抵どこかに応仁の乱により焼失というフレーズありました。

 

 

鳥居の後ろに狛犬さんと立派な楼門。楼門の左右には随身像が置かれてます。

 

 

拝殿には賽銭箱の両脇と東側本殿の正面にお花が生けられていました。拝観者はほとんどなく、ひっそりとした境内でしたが、ここだけは華やかです。

 

 

本殿は、享保18年(1733)に寄進された内裏賢所御殿の遺構を昭和45年に復元したものです。

 

御霊神社の起こり

長岡京造営を進めていた桓武天皇の信頼厚い藤原種継が暗殺され、天皇の実弟である早良親王が罪に問われました。親王は無実を訴えるため一切の食を拒み、淡路島へ護送される途中無念のうちに亡くなったと伝えられています。
親王の死後桓武天皇の身内が次々と亡くなり、また疫病の流行などが相次いで起こります。親王の祟りと恐れた桓武天皇が、平安遷都の際に都の守り神として相良親王を祀ったことが始まりで、本殿には政争により非業の死を遂げた八柱の神霊が祀られたといわれています。

 

無実の罪を着せておいて、神様にするから祟らないでねって。それで都を守って下さっているとは、なんと寛容なお心でしょう。(定価で買ったものがセールになってるのを見てムカッ!とくるくらい心が狭い私には出来ないことです。)

ところで、このところ続いている天災も祟りじゃ無いですよね?今日も台風来てるし。もう来ないでね。

 

 

福寿稲荷神社[境内社]は江戸時代中期以前より、祀られていたそうです(初めは本殿南側にあった)

五穀豊穣・福徳円満・長寿延命・生業繁栄の御神徳があります。

 

 

神明神社[境内社]。本殿の後ろあたりです。

 

実はこの辺から3秒もカメラを構えていられなくなりました。私他人には好かれませんが、蚊の皆さんには良い人だと思われてるらしく、おおきに〜と大挙して群がってきます。(敵!と認識されているのでは?と思わなくも無いけど。)

 

 

厳島神社[境内社]

 

 

花御所八幡宮[境内社]

西側の大きな鳥居の下にある石碑の花御所八幡宮はここを示しているのでしょうか。

この地より南西約1劼里箸海蹐紡利将軍家が造営した花の御所があり、その鎮守として源氏の氏神である八幡神が勧請されたそうです。本来の場所は御所八幡町(烏丸上立売下る)と考えられています。尚、足利尊氏が邸内に勧請した御所八幡宮とは別のものだそうです。

 

 

南門は四脚門ですね。真正面に見える拝殿は西側の楼門からも一直線です。

右の御霊神社と刻まれた石碑にも時計が付いていました。何ゆえ?

 

京都で最古のお祭り

毎年5月1日から18日に行われる御霊祭は、千年以上も続く歴史あるお祭りです。最も盛り上がりを見せる18日の還幸祭では、剣鉾・3基の神輿、八乙女・稚児・若武者・牛車などが氏子地域を練り歩きます。

 

5月上旬頃に咲き乱れる紫のイチハツ(アヤメ科)や、秋には黄色い銀杏の絨毯と紅葉のコントラストも大変美しいそうです。また混みあうことも無いらしいですから、そのシーズンにも行ってみたいなと思います。

 

あ、そうや!季節によっては虫よけは必需品でしょう。

 

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天寧寺 額縁門から望む景色もお庭も素敵でした。

久しぶりの良いお天気でしたので、鞍馬口通りから寺町辺りの寺社を訪れるMy散歩をしました(9/19)

 

鞍馬口通りから寺町を南下すると左手に見えてくる天寧寺

額縁門」と呼ばれる山門から望む景色が有名な曹洞宗の寺院です。

 

 

本当に額縁に入れたように比叡山が収まってます。まるで絵画のようですね。

 

 

庫裏です。

手前に酔芙蓉の木がありましたが、まだ蕾の状態でした。

 

 

表門・本堂

江戸時代後期の伽藍の形態をよく伝え、市内においては数少ない曹洞宗の近世寺院建築として貴重であるということです。
塀の後ろ本堂脇に見える巨木は市内有数のカヤの大木で、京都市登録天然記念物とされています。

 

 

観音堂
後水尾天皇の念持仏の聖観音像と中宮東福門院の念持仏 薬師如来像が安置されています。

 

 

まんじいなり

 

 

わらべじぞう
ジュースのお供えがたくさん。

 

 

門をくぐってから撮りました。普通街中のお寺は山門から入ると正面に本堂があったりするのですけど、天寧寺は比叡山借景を遮らないようにするためか本堂や書院は左手にあります。

 

 

これは紫式部?小紫?ツヤツヤの綺麗な実を付けていました。

 

 

シュウメイギクはこれからかな?咲いているのはまだ2,3輪というところ。

 

 

ヤブランは今が盛りのようです。

その他にもススキの穂や、白萩の花もチラホラと。酔芙蓉は咲いていなくて残念でしたけど、随分と色々な種類の植物が植えられているのでしょう。綺麗に整えられたお庭は四季折々の花が楽しめるのですね。

 

天寧寺

山号は萬松山(ばんしょうざん)と号し曹洞宗に属する。

もと会津城下にあったが、天正年間(1573-1592)にこの地に移送されたと伝えられている。その後天明の大火により堂宇を焼失したが、本堂は文化9年(1812)に、書院は天保14年(1842)に再建された。本堂には仏師春日作と伝える本尊釈迦如来像を、観音堂には後水尾天皇の念持仏聖観音像及び東福門院の念持仏薬師如来像を安置している。境内墓地には江戸時代の茶人として有名な金森宗和、剣道示現流の開祖といわれる善吉和尚らの墓がある。

山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額縁に入れたように見えるところから、山門は「額縁門」と呼ばれて親しまれている。

(駒札より)

 

非公開ですが、境内は拝観できます。いいお寺でしたよ(^^)/

 

Googleマップ

 


輪違屋 創業以来300年以上も営業を続ける島原唯一の置屋

以前に非公開文化財公開で揚屋角屋さんの見学をしました。その時は輪違屋さんは公開されていませんでしたので、外から眺めて駒札に書かれた説明を読んだのみ。また機会があったらね、という思いで去りました。

そして今夏、京の夏の旅 文化財特別公開でやっと「輪違屋」さんを拝観できました\(^o^)/

 

輪違屋さん外観。

たまたま見学者が多かった日なのか、入り口にいつも数人の方がいらして、やっと見つけた空いている時。雰囲気は角屋さんと似てますね。

輪違屋は今から300余年前の元禄年間に太夫や芸妓を抱える置屋(今で言うプロダクションみたいなものですかね。)、「養花楼」として創業。明治5年からお茶屋としても営業を始めたそうです。現在の建物は安政4年に再建されたもので、現存する最古の置屋として貴重であり、京都市指定文化財になっています。

 

 

1階主屋の3方に庭がありました。こちらは東側の坪庭。中央奥に2つの陰陽石、手前右にキリシタン灯籠、左に変わった形の蹲がありました。

この主屋では太夫さんとお客様との顔合わせの儀式であるかしの式が行われたそうです。

 

1階は写真撮影はご自由にとお聞きして、え〜〜!いいんですか!?と小躍りして喜びました。が、ほとんどピンボケでしたガーン!。多少のボケは私と同じ!と厚かましく毎回載せているのですけど、太夫さんが書かれた和歌(それも達筆!)の下書きを襖にしつらえたものとか、近藤勇の書が表装された屏風など色々撮ったのに、撮ったのに〜心霊写真のようでした。載せられません。。。_| ̄|○

 

 

西側の庭と縁と軒。

こんなに深いひさしなのに、柱が1本もありません。梃子(テコ)の原理を利用して軒先の重量を支える工夫をしているそうです。

柱が無いことで景観が遮られず、風流な趣が増すのですね。

 

 

輪違屋さんと言えば、この傘の間の襖。2階は撮影禁止でしたから、こちらは拝観チケットのものです。

合わせて8枚の襖に全部で4つの傘がある。描かれたものではなくて、傘の地紙が貼ってあります。床柱には松、また竹や梅の木も使われるお目出度い部屋なのだそうです。

襖の上に「花實雙美」と書かれた扁額があります。近衛文麿のお爺さまの書だそうです。また、掛軸に桂小五郎の書もありました。(1階には近藤勇の書があったなぁ・・)

 

2階では他に紅葉の間と太夫さんの控えの間を見学しました。

本物の紅葉を塗り込んで、乾燥後に取り出し顔料で着色したという風雅な壁を持つ紅葉の間、なんと床框も地袋板も紅葉(楓?)の木なのだそうです。

その向かいの太夫の間は、小部屋二間続きの控えの間で、綸子に刺繍を施した太夫さんの豪華な打掛が飾られていました。

 

 

2階の客間に行く大階段はなかなかの急勾配です。この階段上の天井に球状の鏡(ミラーボール)が吊るされていました。鏡を利用して、お客様どうしが鉢合わせしないようにするためだそうです。そのためでしょうか、この建物には階段も5か所あるそうです。

(内部の写真はほとんどボケてしまったのですが、これはマシな方。それにしても見学者の多いこと。まぁ私みたいなめんどくさがり屋も来ているくらいだから。)

 

 

輪違屋さんマーク。これはガス灯でしょうか。

この下の行灯にも、1階の大階段横の暖簾もそうでしたけど、至る所でこの標章を見ました

 

 

軒の瓦に「癲廚了。

傘の間の襖の意匠にもあるデパートの高島屋のような「癲廚藁悵祺阿気鵑里甘主が盒兇気鵑世らだそうです(高島屋とは無関係)

 

太夫さんは傾城(公許を得て遊宴の席でお客様を接待する女性)の最高位で、かつては御所にも上がれる正五位の位が与えられたと言います。容姿に優れ、舞・三味線・囃子などの歌舞音曲のほか、茶道・華道・香道・書道に和歌・俳諧などの教養(それも人に教えられるくらいの技量)を身に付けていっらしゃいます。
結髪はもちろん地毛で簪などの頭部に付ける飾りだけで3kgくらいになり、太夫道中に使われる黒塗り三枚歯の下駄の重さは片方が約2kg、太夫の衣装は全部合わせると30kg近くなるそうです(30kgといったら私の分かりやすいところで、5kgのお米袋を6個!---庶民の例えですみません)。
あらゆる教養を高度に身に付け、30kgの装備も身に付けて、優雅に歩かはる太夫さん!美貌に才能、根性と体力も兼ね備えたスーパーウーマンです。

 

Googleマップ

 

関連角屋(すみや)

 


ン十年ぶりに六道まいり。

毎年8月7日〜10日に行われる六道まいりに何十年ぶりか?で行ってみましたので、今さらですが(;^_^A  (珍皇寺にはふらっと入ることはあるんですよ。でも六道詣りは超久しぶり)。

 

松原通に面した六道珍皇寺の山門。普段はひっそりとしていますが、六道さんのときはとってもにぎやかです。

 

 

山門をくぐるといつもと違って屋根が張られ、高野槙が売られています。高野槙は「迎え鐘」でお迎えしたおしょらい(精霊)さんが枝に乗り移って我が家にお帰りになるという、六道参り参詣の必須アイテムです。

 

 

薬師堂。通常非公開の薬師如来坐像を拝観できました(撮影は禁止でしたからお堂の外観だけ)

 

 

左手の提灯がかかっているところは閻魔(篁)堂。たしか普段は格子の隙間から見ていた閻魔大王像篁像ですが、この日は全面開放、しっかり拝観致しました。等身大小野篁像、でかいです。随分と大きな人だったのでしょう(平安時代の平均身長は知らないけど・・)

 

 

鐘楼(迎え鐘)。おしょらい(精霊)さんを迎えるために撞くので「迎え鐘」といいます。

前に見たときはもっと地味な鐘楼だったなぁと、調べてみましたら一昨年から105年ぶりの解体修理を行い昨年の7月に終えたそうで、木の部分が鮮やかな朱色になっていました(1年ほどこの境内に立ち入ってなかったんだと先ほど気がつきました)

 

 

三界万霊十方至聖の石塔婆。三界とは、仏教用語で無色界・色界・欲界の三つを指し、この世のすべての精霊を供養することのようです。

この場所は住持が野辺送り(遺骸を埋葬地または火葬場まで運び送ること)の引導を渡した場所といわれています。

 

 

以下、六道参り最終日午前中の境内の様子です。

 

 

 

 

 

 

ところで、私は京都に来て冷やしあめというものを初めて知りましたが、未だにいただいたことはありません。ウィキペディアによると、麦芽水飴(または米飴)を湯で溶き、生姜の搾り汁やおろし生姜を加えた飲料で近畿地方に普及しているものだそうです。

一度は味わってみた方がいいかな・・・。

 

以前に書いた六道珍皇寺の記事

六道珍皇寺のHPはこちら

Googleマップ

 

西福寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

六道珍皇寺の200mほど西にあります。正式には桂光山敬信院という浄土宗の寺院です。

 

こちらも普段はひっそりとしていますが、六道まいりの間は参詣する人々でにぎわいます。

毎年六道詣りのときに公開される「地獄絵」「壇林皇后九想図」は かなりヘヴィーです。

私は小心者ですので(先日も書きましたが)、この絵を拝観した夜はなかなか寝付けませんでした。その分昼間寝ました(^^ゞ。

 

 

入り口の左右に子育地蔵尊の提灯があるように、一歩足を踏み入れると、いや外からも見えていますが、たくさんのお地蔵様。子育地蔵は子供の健康や病平癒に効くそうです。

Googleマップ

 

 

「みなとや」さん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

店頭で開店を待っていらっしゃる方々でしょうか?

松原通をはさんで西福寺の斜向かい(北東)にある幽霊子育飴で有名なみなとやさん。

450年以上続く歴史ある、また伝説もある飴屋さんです。

みなとやさんのHPはこちら

 

 



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