広い境内、名勝庭園、障壁画。見ごたえある智積院。

先日智積院の青葉まつりに行ってまいりました。弘法大師空海と中興の祖 興教大師覚鑁(かくばん)両祖の誕生を祝う行事です。出かけるのが遅くなってしまったため、行事の一部は間に合いませんでしたが、大変趣深い拝観ができました。

 

入り口の冠木門。

 

 

鐘楼とその周辺の景色。青もみじが清々しい広々とした境内です。

 

 

金堂 入り口から東にまっすぐ歩いて行くと突き当たるどっしりとした大きな建物で、昭和50年に再建。ご本尊の大日如来様が安置されています。

以前の金堂は宝永2年(1705)に建立されましたが、明治15年(1882)に火災により焼失したそうです。

 

 

金堂から東へ。咲き競う紫陽花がずっと続きます。この階段の上の方はどうやら墓地のようでした。

 

 

色とりどりの紫陽花が、今が見頃と咲き乱れています。

 

 

東に上る階段から振り返って、金堂の後ろ側。

 

 

明王殿 ご本尊は不動明王様で不動堂とも呼ばれるそうです。

明治15年に焼失した本堂再建のため、かつて四条寺町にあった大雲院(現在は東山)の本堂の譲渡を受けたものだそうです。

 

 

大師堂 弘法大師空海のご尊像が安置されています。

寛政元年(1789)に落慶した府指定文化財です。

 

 

名勝庭園利休好みの庭と伝える庭園。築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産といわれています。

 

 

実はこのお庭、とーっても若かった頃に1度拝観しています。そしてその時一目惚れしてしまったお庭です。ン十年ぶりのオバサンになってから見てもやっぱり素敵!おばさん好みの庭!(失礼)

 

 

書院からの眺め。って人を眺めてる・・。

 

 

書院の中から。

現在収蔵庫に移されている障壁画がかつてはここにありました。今は鮮やかで明るくてカラフルな撮影所のセットのようなレプリカが収まってます。個人の感想です(^^;

 

 

中庭になるのかな?石庭発見。

 

 

本坊の玄関から総門の裏を。七条通りが良く見えます〜って総門はちょうど七条通りの突き当り。東福門院(ウィキペディア)旧殿の門を移築されたそうです。余談ですが、北隣の妙法院の大書院と玄関も東福門院の建物を移築したものと伝えられています。

 

 

寺紋は桔梗紋。門幕の桔梗がかなり目立ってますけど、瓦にも。

 

 

明王殿の階段下から北の方を見ています。

 

 

講堂の西側あたりになるのかな?間違っていたらごめんなさい。とにかく境内も広いけれど建物も大きくて入り組んでいて、迷路のようでした。よく脱出できたものだと感心します。

 

智積院

山号は五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。

真言宗智山派の総本山。元は紀州根来寺の塔頭であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、学頭玄宥僧正は難を高野山に逃れた。慶長6年(1601)に徳川家康の恩命により豊国神社境内の坊舎と土地を与えられ、智積院を再興した。その後祥雲禅寺(秀吉が長男鶴松の菩提を弔うために1592年に建立)を拝領し現在に至っている。
収蔵庫にある長谷川等伯一門による豪華な襖絵(国宝)は祥雲禅寺以来のもので、桃山時代の代表的障壁画として知られている。庭園も桃山時代の作庭といわれ、築山と苑池からなる観賞式林泉で京洛名園の一つに数えられている。

 

前に訪れたのは学生時代。その時はささっと見ただけで、今になって記憶に残っていたのは名勝庭園だけ。この日は青葉まつりで混み合っていましたが、広い境内で青もみじや紫陽花を眺め、収蔵庫では国宝の障壁画も鑑賞させていただきました。

また日を改めて訪れたいと思う見応えのある寺院でした。

 

 

智積院のHPはこちら

東山七条周辺地図

googleマップ

 


神泉苑は Shinsenen Temple だったのですね。

東山ばかりでなく たまには少し離れた所も散歩しようと、1週間ほど前になりますが 二条城の南に位置する神泉苑に行ってみました。

 

苑内の広大な法成就池

新緑の中、龍の頭をした船が見えて、あら素敵!竜頭鷁首?(りょうとうげきしゅ--平安時代の貴族が池や泉水に浮かべ、管弦の遊びなどに用いた)と思ったけど、良く見たら屋形船でしたたらーっ 苑内にある料亭平八さんの船のようです。

 

 

善女龍王社 中央の島に祀られています。

日照りが続く天長元年(824)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が天竺の無熱池から善女竜王様を勧請して見事雨を降らせたそうです。

本殿、拝所、中門、拝殿に構成され、棟札によると文化10年(1813)に改築、そして200年を経た平成25年から2年にわたり大規模な修復工事が行われました。

 

 

恵方社

とても小さいですが、日本で唯一のお社で、その年の福徳を司る歳徳神(としとくじん)がお祀りされています。

毎年大晦日の晩に、翌年の恵方に合わせてお社の向きが変えられます。お社の正面からお参りすればその年の恵方に向かってお参りできるのだそうです。(恵方巻を食べるときに向く方角ですよね?)

 

 

法成就池に架かる赤い橋、法成橋(ほうじょうはし)です。

橋の西側の立て札に 心に願いを念じながら渡り、その願いを橋の向こうにある善女龍王様にお願いすると叶うと言われています。(願いはただ一つ) と書かれていました。

眺めていると、にわかに若い女性たちが現れて橋の上で撮影会。あまり人のいない庭園が一気に華やか、賑やか!大したパワーです。彼女たちは何もお願いする事が無いように幸せそうでしたニコニコ そういう私も願い事を忘れてた大変幸せなオバチャンですたらーっ

 

 

増運弁財天(弁天堂)

屋根瓦には眷属としてナマズがついています。画像左下に拡大して付けておきました。

 

 

矢劔大明神(鎮守稲荷社)

参拝者の身体を守護されるそうです。

 

 

庭園東側の鎮守稲荷社の方から、西に向かって撮りました。

街中で庭園を撮るとだいたい背後にビルが映ってしまう。まぁ、それも今の京都の風情です。

 

 

苑内至る所にピンクのサツキ!鮮やかですねぇ。

 

 

神泉苑の本堂

弘化4年(1847)、東寺の大元帥堂としてあったものを移築したそうです。

ご本尊 聖観世音菩薩立像、不動明王坐像、弘法大師像が安置されています。

鳥居をくぐって入りましたし、神様を祀ったお社たくさんあって、何と言っても名前は「神泉苑」。お寺だとはなかなか思えませんが。

そうそう、寺務所で購入した冊子の表紙には「平安京最古の史跡 東寺真言宗 神泉苑 SHINSENEN TEMPLE」とありました。(寺務所という時点でお寺ひやひや)

 

 

法成橋から入り口の鳥居を撮りました。

 

 

池辺でくつろぐアヒルさんたち。何とも言えない素敵なお尻です。

謡曲「鷺」で、醍醐天皇から五位の位を賜った鷺の由来が神泉苑にあるそうですが、このアヒルさんたちにも官位をあげてください。

 

神泉苑

延暦13年(794)桓武天皇が平安京の造営にあたり、大内裏の南の沼沢を開いて設けられた禁苑。広大な苑内には大池と中嶋のほか、乾臨閣や、釣殿、滝殿などもあり、歴代の天皇や貴族が舟遊び、花見、詩や歌、弓射、相撲などを楽しんだと言われている。また貞観5年(863)には御霊会が行われ、祇園祭の起源となった。源義経と静御前の出会いの地という伝承もある。

現在は東寺真言宗の寺院。

 

規模は大分縮小されたとは言え、平安遷都の時から、つまり1200年以上もずーっとここにあるのですね。人も少なく、無料でゆっくり散策できました。無料が大好きな私が今まで行ったことがなかったなんてひやひや

 

神泉苑のHPはこちら

Googleマップ

 


東福寺 法堂・光明宝殿拝観

京都春の特別公開で、東福寺 法堂光明宝殿を拝観しました。

龍吟庵の後に、こちらももう最終日ね、見ておかなくっちゃって。

定番の臥雲(がうん)橋から眺めた通天橋の画像です。東福寺と言えば私的にこれは外せないひやひや

 

 

今回の拝観にあまり関係がないと思われる山門です。

特別拝観の光明宝殿や法堂内部の撮影はもちろん禁止でしたから、撮ってOKなものは取り敢えず載せておこうと・・。

 

始めに光明宝殿を拝観しました(外観だけでも撮っておけば良かった)

靴を袋に入れて持ち、まずは掛軸などの絵画を拝観。そこそこ混んでいましたので、それぞれの説明文までゆっくりと見ることはできませんでした。次に仏像を拝観します。ほとんどが巨大ですので絵画に比べこちらの方が見やすかったですが、やはり説明をしっかり読んでいる余裕まではありません。大きく力強い二天王立像。運慶作(かも知れない・・)ファンキーな雰囲気の金剛力士像(もちろん私個人の感想です〜)。それから阿弥陀如来坐像、こちらもかなり大きいです。その前にこれまた巨大な牡丹唐草の透彫りの前机などなど。

 

 

法堂(仏殿も兼ねています)。

こちらの内部を拝観できました。昭和期の建築物としては最大級なのだそうですが、まさか昭和の建物だとは思いませんでした。

鎌倉時代の作とされる本尊・釈迦三尊像と、四天王立像が安置されています。四天王立像のうち多聞天が今回の見どころで、運慶の作と伝えられています。右手の親指を立て、戟(げき)を持つ姿などの作風が特長だそうです。

天井には堂本印象が僅か17日で描いたという「蒼龍図」。図の北西の端に恒世印象筆と記されています。

法堂東南の柱は日蓮宗の宗徒さんが寄付したものです。かつて日蓮が他宗から迫害された時、東福寺開山の聖一国師が庇護しました。そのことから感謝の意を込めて寄進されたのだそうです。その後の再建でまた日蓮宗の宗徒さんから贈られたのだそうです。

拝観料は800円でした。

 

 

相変わらず、楓が美しい・・ですが、これは通りがかった塔頭の境内で撮りましたひやひや

 

この日は東福寺の塔頭「龍吟庵」と「光明宝殿」「法堂」を拝観したのですが、受付で800円をお支払いした時に渡されるものはチケットのみでした。ガイドの方が上手に説明して下さいましたし、大切な文化財、全面的に撮影禁止に文句はありません。でも、せめて受付で簡単な説明書きだけでもいただけたらなぁ、と思いました。私のような高齢者は記憶することが難しいのですから(記憶できないのは私だけかな撃沈)。

それともご自由にお取り下さいで、プリントでも置いてあったのかな?私が気付かなかっただけで・・困惑

 

東福寺のHPはこちら

Googleマップ

 


龍吟庵 日本最古の方丈建築

春期京都非公開文化財特別公開で国宝の方丈を持つ「龍吟庵(りょうぎんあん)」を拝観しました。

 

東福寺庫裏の東側、細い小道を北に進むと、まずこの偃月(えんげつ)橋が現れます。この橋を渡った先に龍吟庵があるのですが、特別公開と言っても混み合うことは無い様子で、この橋も周りの景色を眺めながらゆっくりと渡れました。

東福寺の広〜い境内には三ノ橋川が流れ、臥雲橋通天橋偃月橋の3つの橋が架けられています。その最も上流に架けられているものがこちらの偃月橋で、桃山時代の建築です。(重要文化財)

 

 

表門

桃山時代の建築で重要文化財です。

 

 

龍吟庵」と書かれた扁額の一部です。拝観する前にたまたま塀の上に見えました。こちらと開山堂の扁額「霊光」は足利義満の筆によるものだそうです。

 

 

方丈に入りますと国宝の建物を傷つけないようにと荷物を玄関先で保管されました。写真撮影は庭も含め一切禁止。ネット上には龍吟庵の画像がいくつも上がっていますが、いつの間にか厳しくなっていたのですね。

方丈の入り口です。

 

方丈

室町時代応仁の乱以前にに建てられた現存する日本最古の方丈建築で国宝。中央には両開きの板唐戸の入り口があり、その両側に蔀戸、両端の柱間には遣戸が使われるなど書院造りに寝殿造りの趣も留めています。

 

開山堂

1975年の建立で方丈の背後にあります。中央に大明国師坐像、その右に宝冠釈迦如来像、左に亀山上皇像が安置されていました。また大明国師坐像の内からは多くの像内納入品が現われたそうです。

 

庭園

鞍馬の赤石を砕いて敷かれた方丈東の「不離の庭」、白砂を敷いただけの何も無い方丈前庭の「無の庭」、龍が天に昇る姿を表した西庭の「龍門の庭」があります。それぞれ昭和の作庭家重森三玲氏により造園された名園です。

 

枯山水庭園のあの砂紋、引くのはすごく難しそうで大変だと思うのです。しかし我が家にも一か所、持ち主いや飼い主の風流な趣味によって毎日砂紋が引かれる場所があります(猫トイレ)・・いや自慢にはなりませんがく〜

 

龍吟庵

東福寺第三世住持、無関普門(大明国師ー南禅寺開山)の住房跡で、国宝方丈の他、重文の庫裏・表門、大明国師像などの多くの文化財、また重森三玲作庭の名園がある。本尊は宝冠釈迦如来。東福寺の数ある塔頭の中で第一位に位置づけられている。

 

一所懸命説明をされたり、親切に案内をして下さった学生ガイドさん。勤勉で謙虚な姿勢に好感が持てましたニコニコ

 

拝観料は800円でした。

 

Googleマップ


正伝永源院 ゆっくり観賞できました。

織田有楽斎(織田信長の実弟・茶人)ゆかりの建仁寺塔頭寺院「正伝永源院」を拝観しました。

 

山門です。

山門をくぐって左に行くと織田有楽斎や細川家歴代、福島正則などのお墓があります。

有樂斎は織田信長の弟で、長益と号しました。本能寺の変で信長が倒れると豊臣秀吉の配下となります。関ヶ原の戦いでは東軍に属しましたが、戦後も豊臣秀頼の補佐役として出仕を続けました。大坂夏の陣を前にして豊臣家から離れ京都に隠棲、七十五年の生涯を閉じるまで、茶道三昧、悠々自適の生活を送ったそうです。

 

 

鮮やかなツツジが方丈東の庭園を彩ります。

 

 

回廊から。

 

 

方丈前庭を東から撮りました。緑がまぶしいです。

 

 

こちらも方丈前庭。少〜し西から撮りました。

新緑の池泉鑑賞式庭園、池に架けられた石橋の奥でひと際目を引く真っ赤なツツジがとても印象的でした。

 

 

方丈南側の縁から東庭に向かって。

襖絵は元総理大臣細川護熙氏の揮毫で平成24年3月に奉納されました。

 

 

室中から前庭。

緑色の風が吹き抜けるようでした。爽やか!

 

 

本堂の前に掲げられた「正伝院」と「永源庵」の2つの扁額。

正伝永源院は「正伝院」と「永源庵」の2つが統合された寺院です。

明治時代の廃仏毀釈により建仁寺でも多くの塔頭が廃され、無住であった永源庵は堂宇だけを残されました。一方正伝院は京都府による窮民産業所設立のため建物を放棄し、旧永源庵の現在地に移ります。このとき永源庵が廃寺となりますが、「永源」の名が消える事を憂いた細川侯爵によって、2つの寺院は合併し、寺号を「正伝永源院」と改めたということです。

 

 

こちらは茶室「如庵」の写しで平成8年に完成しました。

織田有楽斎が旧正伝院に建立した茶室「如庵」は正伝院永源庵が合併した際に祇園町有志に払い下げられます。その後何度か移築され、現在は名古屋鉄道の所有で、愛知県の有楽苑で保存されているそうです。

 

 

方丈西側の庭と前述の茶室「如庵」。

 

 

方丈の南側の広縁。

 

 

帰る前に名残を惜しんで、もう一度カシャリ!

 

正伝永源院

建仁寺の塔頭寺院、本尊は釈迦如来。

元は正伝院永源庵の二ヶ寺であり、正伝院は文永年間(鎌倉中期1264-1275)に中国僧義翁紹仁勅謚普覚禅師によって開山、永源庵は建仁寺39世無涯仁浩禅師によって正平年間(南北朝時代1346-1370)に開山となった。正伝院は天文年間(1532-1555)に荒廃したが、江戸時代織田有楽斎により再興された。永源庵は無涯禅師に細川頼有が馬上から問法した事が縁で八代に渡って細川家の菩提寺になった。明治期の廃仏毀釈などにより2つの寺院は統合され「正伝永源院」となる。

 

ウィークデイに拝観したせいか、たまたまなのか、ものすごくすいていました。お陰様でゆっくりさせて頂きました。でも、もう少し案内・説明が欲しかったな。(まさか挙動不審なオバサンと思われていたのではたらーっ?)

 

正伝永源院のHPはこちら

Googleマップ

 



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